北朝鮮では金正恩体制になって以降、何人かの朝鮮人民軍(北朝鮮軍)高官が粛清された。

最初は、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長だった。一次は金正恩党委員長の「後ろ盾」とも見られていたが、2012年7月15日、朝鮮労働党と軍のすべての役職から解任され、姿を消した。地方に追放されたとの説もあれば、処刑されたとの説もある。

次の玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長の粛清は、いっそう衝撃的だった。2015年4月30日、人体を「ミンチ」にするほど強力な4銃身の高射銃で処刑された。金正恩氏の指示に、数回にわたり従わなかったのが理由とされる。

(参考記事:玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…

北朝鮮で「最も危ない男」

続けて2016年2月10日には、韓国メディアが李永吉(リ・ヨンギル)総参謀長の処刑情報を伝え、同月21日には後任に李明秀(リ・ミョンス)氏が就任していたことが明らかとなった。李永吉氏は朝鮮労働党の会議の途中、いきなり乗り込んだ国家安全保衛部(秘密警察)により連れ出されたとの生々しい情報も伝えられた。

(参考記事:処刑説の北朝鮮総参謀長「会議場から連行」、生々しい逮捕時の様子

ところが、党機関紙の労働新聞は同年5月、党第7回大会で決定された中央軍事委員会委員として、李永吉氏の名前と写真を掲載する。同氏は降格されながらも、権力中枢で生き残っていたのだ。

日韓の主要メディアは今月4日までに、北朝鮮軍の「3トップ」が交代したもようだと伝えた。「3トップ」とは、軍内の党組織の責任者である総政治局長、戦闘指揮を担当する総参謀長、そして軍事行政を統括する人民武力相(旧人民武力部長)である。

このうち総政治局長は、金正角(キム・ジョンガク)氏から金秀吉(キム・スギル)氏に替わったことが北朝鮮メディアの5月26日の報道で確認されている。残る人民武力相は朴永植(パク・ヨンシク)氏から努光鉄(ノ・グァンチョル)同省第1次官に、そして総参謀長は李明秀氏から、第1副総参謀長に就いていた李永吉に交代したと見られているのだ。

北朝鮮では、失脚した高官が復活することはたまにあるが、処刑説まで出た人物が軍の戦闘指揮の責任者に返り咲くのは珍しい。

ところでこの交代人事について、一部のメディアは次のような解説を添えている。

「米国との対話を進める金正恩氏が、非核化や軍縮に反発しそうな軍強硬派を退け、穏健派を起用した」

筆者はいつも、こうした解説に違和感を覚えてしまう。果たして北朝鮮軍の「強硬派」とはどのような人々なのだろうか? 金正恩氏が「非核化を進めよ」と命じたら、「ふざけるな!」と反発し、実力で抵抗する軍人たちがいるのだろうか?

金正恩氏は、意に沿わなければ叔父や兄までも手にかけ、ほんの少し口答えしただけの玄永哲氏をミンチにして殺してしまう独裁者だ。経済制裁で民が苦しむのも気にせず、核兵器開発を推し進めたのも彼である。そんな金正恩氏の意向に逆らい、米韓との対決に固執する幹部たちがいるというのなら、せめて彼らの言動の一端でも根拠として提示すべきではないか。

北朝鮮軍の軍紀はいま、めちゃくちゃな状態にある。飢えに苦しむ兵士たちの中からは脱走兵が続出し、部隊内では「マダラス」と呼ばれる性的虐待も横行している。軍のトップが問責され、更迭される理由には事欠かないのだ。

(参考記事:北朝鮮女性を苦しめる「マダラス」と呼ばれる性上納行為

また、同一人物をひとつのポジションに座らせ続ければ、利権が生まれやすくなる。金正恩氏はそれを防止するため、頻繁に人事を行っているとの見方もある。

ちなみにある脱北エリートによれば、北朝鮮で本当に「危ない」と見られていたのは、2015年5月に死亡した金格植(キム・ギョクシク)元大将だったとされる。そして、彼が「危ない」と見られた理由は、「金王朝の盲目的な信奉者であり、指導者の命令が下ったらどんなことにでも突き進んでしまうから」だという。

(参考記事:正恩氏、きわだつ「報復の老将」への礼遇…軍事的「攻勢」示唆か

しかし今や、北朝鮮にもそのような軍事はいなくなったようだ。つまりあの国の最強硬派は、他ならぬ金正恩氏本人であると見るべきなのだ。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

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