金正恩が手を染めた「人道に対する罪」(1)

北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)党委員長はトランプ米大統領に早期の会談を要請し、トランプ氏は5月までに会談すると応じた。実現すれば現職の米朝首脳の会談は初となる。訪米した韓国青瓦台(大統領府)の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長から伝えられた金正恩氏からのメッセージを受け、サンダース米大統領報道官は8日に声明を発表し、「トランプ氏は金正恩氏との会談の招待を受け入れる。会談の場所と時間は今後決める」と表明した。

しかしこの展開は、金正恩氏が手を染めてきた数々の残忍な人権侵害に、ある種の免罪符を与えることにつながらないだろうか。

北朝鮮の金正恩党委員長は2013年12月、叔父にあたる張成沢(チャン・ソンテク)国防副委員長を処刑し、世界に衝撃を与えた。それに続き、張氏の家族、親戚、部下など多くの人々が粛清されたと伝えられている。

その中に、一時は北朝鮮の銀幕スターだった女優キム・ヘギョンがいる。

キム・ヘギョンの生い立ちは詳らかでないが、脱北者で平壌中枢の人事情報に精通する李潤傑(イ・ユンゴル)北朝鮮戦略情報センター代表によると、彼女の元々の所属先は朝鮮労働党中央の組織指導部5課、つまりは「喜び組」だったという。

1997年頃、北朝鮮映画界でスターとなった彼女は、20代後半から30代前半のとき、護衛司令部の幹部を父に持つ貿易会社の社長と結婚し、2人の息子をもうけた。美貌と知性、演技力、人気に加え、権力まで手にした彼女は、徐々に堕落してゆく。

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最高指導者に仕える奉仕員、喜び組のメンバーとして教育を受けた彼女は、高級幹部の間でも注目の的となった。夫や子どもを顧みず、朝鮮労働党作戦部所属の連絡所長(工作員の指揮官)など数多くの幹部と浮名を流した。浮気相手と、同棲したことすらあったようだ。

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そんな彼女に最初の危機が訪れた。夫が麻薬を使用した容疑で当局に摘発されたのだ。彼女は職場から追われた夫と離婚し、強力なバックを失ってしまった。その頃に出会ったのが、張成沢だった。

2人が深い関係となるのに、時間はかからなかった。しかしそれも、張成沢の処刑というあまりに衝撃的な出来事で幕が降ろされた。かつては北朝鮮の権力中枢でも「実力ナンバーワン」と言われた愛人の威光を背景に、違法な蓄財に励んでいた彼女は、自らの身に迫りくる危機を察知し、張成沢が処刑された直後の2013年12月中旬、朝鮮労働党の組織指導部に自首して5万ドルを当局に差し出した。全財産を差し出すことで、命乞いをしようとしたのだろう。しかし、それは組織指導部が調査を通じて見積もっていた彼女の隠し財産と比べ、あまりに少なすぎる額だった。

家宅捜索に踏み切った組織指導部は、4〜50万ドルの現金と、相当量の金(ゴールド)を発見した。しかもそれらは、財産を隠匿する目的で作られた特注の冷蔵庫の中にあった。そればかりではない。彼女には、現金やマンション4戸を含むさらなる隠し資産があったのだ。

組織指導部は、彼女に対して加重処罰の処分を下し、隠し子と共に政治犯収容所送りにした。しかも彼女が送られたのは、「この世の地獄」とも言われる、一生釈放されることのない「完全統制区域」だった。ただし、前夫との間に生まれた2人の息子は今でも平壌で暮らしていることが確認されている。

ただ、北朝鮮のサイトに彼女が出演した映画が残されていることを考えると、女優キム・ヘギョンは完全に消し去られた存在ではないようだ。

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高英起(コウ・ヨンギ)

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1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記