北朝鮮の金正恩党委員長が、韓国に対して「切り札」を切った。北朝鮮高位級代表団の一員として訪韓した実妹の金与正(キム・ヨジョン)氏だ。朝鮮労働党第1副部長の肩書きを持つ金与正氏を自身の特使とし、文在寅大統領に訪朝を要請するメッセージを伝えさせたのだ。
大阪出身の母
故金日成主席を始祖とする金王朝、いわゆる「白頭の血統」の一員が韓国を訪れるのは、史上初である。金与正氏は党官僚としてキャリアを重ねてきたが、まだ30代初めの若さだ。金日成氏や故金正日総書記ならば、特使として韓国へ派遣する選択はしなかったと思う。
(参考記事:金正恩氏の妹・金与正氏の「恋愛事情」と兄妹の本当の関係)今回の派遣が示唆するのは、金正恩氏が金与正氏の存在に大きく依存しているという事実だ。金正恩氏の代理として表舞台に出られる「血族」は、金与正氏しかいないからだ。
金与正氏は、金正恩氏の「動線」を点検する任務を与えられているとされる。金正恩氏には一般人と同じトイレを使うことが出来ないという状況もあるが、そうしたプライベートに関わることまで取り仕切ることが出来るのは金与正氏ぐらいだろう。
(参考記事:金正恩氏が一般人と同じトイレを使えない訳 )実は、金王朝にはともに権力を分かち合う閨閥――簡単に言えば親戚が少ないという特徴がある。金日成氏の妻で金正日氏の母である金正淑(キム・ジョンスク)氏は国母として祭り上げられているが、金日成氏の後妻である金聖愛(キム・ソンエ)氏の一族は政治の表舞台から排除されてしまった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面金正日氏には複数の妻がいたが、いずれも政治権力とは距離のある家柄の出だ。金正恩氏ら兄妹の母である高ヨンヒ氏にいたっては、日本の大阪出身で、北朝鮮での基盤は皆無だ。
(参考記事:金正恩と大阪を結ぶ奇しき血脈)また、金正恩氏のファーストレディーとして存在感を高める李雪主(リ・ソルチュ)氏も庶民の出身である。
金正恩氏の実の兄である金正哲(キム・ジョンチョル)氏は、海外へエリック・クラプトンのコンサートを見に出かけた姿が何度もキャッチされており、特使としての重みに欠ける。金正恩氏の異母姉である金雪松(キム・ソルソン)氏は、政策決定に大きな影響力を及ぼしていると見られるが、現在にいたるも秘密の存在であり、表舞台に出てくるとは思えない。
(参考記事:金正恩氏の「美貌の姉」の素顔…画像を世界初公開)人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面
つまり、文氏が金与正氏から伝えられた訪朝要請に乗ってこなければ、金正恩氏にはもはや特使として使えるカードが残っていないのだ。
それがわかるだけに、文氏も金正恩氏の大きな賭けに乗らざるをえないだろう。文氏は昨年7月、米朝対立が激化するなか、「韓国に解決できる力はなく、また何らかの合意を引き出す力もない」と自国の無力さを嘆いた。南北首脳会談を実現させられれば、米国主導の対北政策において存在感を示す、あわよくば主導権を握るチャンスにもなり得る。もちろん、そこにはリスクもある。
国際社会は金正恩体制の人権侵害に対して厳しい目を注いでいる。文氏がこの問題を棚上げして首脳会談をしようものなら、北朝鮮国民を見殺しにしたというそしりを受けかねない。また、核・ミサイル問題での成果も不可欠だ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面それでも、文氏は金正恩氏からの申し出を受け入れると筆者は見ている。果たして、朝鮮半島情勢には今後、どのような波乱が待ち受けているのであろうか。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。