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北朝鮮の新聞は昨年末までほぼ毎日、韓国政府を「南朝鮮の傀儡」と呼んで非難する記事を載せていた。それが、金正恩党委員長が1日の施政方針演説「新年の辞」で南北関係改善を打ち出して以降はゼロになった。9日に実現した韓国政府との対話が続く間は、一方的な非難は控えると見られる。

韓国に替わり、非難の標的にされているのが日本だ。朝鮮労働党機関紙の労働新聞や、内閣などの機関紙・民主朝鮮は4日、9日、10日と日本を非難する論評を掲載。ほかにも、「韓国の民間団体が従軍慰安婦問題で日本を非難している」などとするニュースを報じている。

もっとも、北朝鮮の日本非難は今に始まったことではない。ただ、北朝鮮が「民族自主」「わが民族同士」をキーワードに韓国社会に対する「洗脳工作」に乗り出しているだけに、この時期の日本非難には特別な意味が込められているようにも思える。

(参考記事:韓国国民に対する金正恩氏の「洗脳工作」が始まった

これに対して、日本はどのように対応すべきか。「北朝鮮の遠吠えなど捨て置けば良い」との意見もあるだろう。個別の非難についてはそのとおりだ。しかし中長期的に、北朝鮮に対してどのような戦略で臨むかについては、いいかげん本格的に検討すべきではないか。

最近の北朝鮮の対日非難の中身は、主に軍備増強に対してのものだ。日本政府は「いずも型」護衛艦の空母化や、長距離巡航ミサイルの開発を検討している。こうした動きに対して「海外膨張の野望をなんとしても実現してみようとする危険極まりない妄動だと言わざるを得ない」(民主朝鮮10日付)などと言っているのだ。

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しかし、水爆を保有して「核強国」になったと誇り、米国と対決すると息巻いている国がこの程度の動きにムキになるのもおかしな話だ。戦闘攻撃機を80機以上も詰める大型空母を11隻も持っている米国でさえ北朝鮮に手を出せずにいるのに、日本が戦闘機をせいぜい10機詰めるかどうかの軽空母を1隻か2隻持ったところで、北朝鮮の国防が危うくなるはずもない。

それに北朝鮮も本音では、日本よりも中国のことをよっぽど警戒している。

(参考記事:「日本は百年の宿敵、中国は千年の宿敵」北朝鮮で反中感情

ではどうして日本に非難の矛先を向けているかというと、おそらく北朝鮮にとって日本は「どうでもいい国」になっているからだ。

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かつては北朝鮮にも、ジャパンマネーに大いに期待した時代があった。しかし、日本人拉致問題で日朝の対話は立ち往生しており、何をどうやっても、日本からはカネを取れそうにないことが金正恩氏にはわかっているのだろう。また、仮に拉致問題が解決しても、北朝鮮国内での人権侵害の問題がある。この問題が改善されない以上、日本や欧米は北朝鮮に大規模な経済支援を行うことはできないのだ。

そして、金正恩氏はそのことを理解しているから、核ミサイルの開発に突き進んできたのだ。

(参考記事:北朝鮮「核の暴走」の裏に拷問・強姦・公開処刑

では、日本はどうすべきか。一般の日本国民にとっては、北朝鮮との関わりなどまったくゼロでも何ら支障はないだろう。しかし安倍政権は、日本人拉致問題を「必ず解決する」と約束している。北朝鮮から「どうでもいい国」だと思われていては、その約束を果たすことはできない。

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また、このまま北朝鮮と韓国の対話が進み、いずれ北朝鮮と米国の対話が始まるようなことになれば、色んなことが日本の頭越しに決められ、日本の国益が損なわれる可能性もある。

そんなことにならないように、日本は北朝鮮にとって「厄介な国」になるべきというのが筆者の意見だ。北朝鮮にとって「厄介な国」というのはつまり、「人権問題にうるさい国」である。日本が脱北者保護などを積極的に行い、北朝鮮の人道問題を告発する一大拠点となれば、金正恩氏は日本の動向に頭を悩ませ、「どうしたら黙ってもらえるだろうか」と真剣に考えるはずだ。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記