このところ沈黙していた北朝鮮が、再びミサイル発射の兆候を見せている。まだ発射に踏み切るかどうかはわからないが、来年に入れば間違いなく、核兵器開発のための実験を繰り返すだろう。金正恩党委員長はいったい、核兵器開発によって何を得ようとしているのか。アメリカとの軍事衝突や暴発、さらには体制崩壊の可能性が語られているが、北朝鮮が歩んできた道のりを踏まえて見ると、意外な未来像が示唆されていることに気づく。

金正恩氏が秘める「野心」

「アメリカがわが国への敵視政策や近隣での軍事演習を続ける限り、交渉はない」

北朝鮮の韓大成(ハン・デソン)駐ジュネーブ国際機関代表部大使は今月17日、ロイターとのインタビューでこう語った。アメリカ軍は毎年、北朝鮮の脅威に備えて韓国軍と大規模な合同軍事演習を行っている。北朝鮮が核武装したことでその脅威は増しており、アメリカのトランプ政権が米韓合同軍事演習の中止に動く可能性はゼロに近い。

北朝鮮の金正恩党委員長としても、そのことは承知しているはずで、彼の頭に『交渉』の2文字はないということになる。ならば金正恩氏は、何を望んでいるのか。『戦争』か? それも違う。

祖父の金日成、父の金正日、そして金正恩氏へと3代にわたり世襲されてきた王朝国家の目的は、その体制を永続させることにある。核武装したと言っても、アメリカと進んで対決すれば破滅は避けられない。ということはやはり、北朝鮮の核兵器は外部の敵から自らを守るための『防壁』なのだ。

北朝鮮が目指す「普通の国」

そして、金正恩氏はその『防壁』に守られながら、あることを成し遂げたいという『野心』を抱いている。その『野心』とはズバリ言って、北朝鮮を『普通の国』にすることだ。

ただし『普通の国』と言っても、日本を基準にイメージしてはいけない。金正恩氏と、彼の独裁体制を支えるエリートたちには『独特の世界観』があるからだ。その世界観とはどのようなものか。彼らが思い描く『普通の国』とはどういうものか。以下、北朝鮮の現在を読み解きながら、そのイメージに迫ってみたい。

北朝鮮は、正式名称を朝鮮民主主義人民共和国という。面積は日本の1/3弱の120,540km2。人口は約2,500万人で、日本のおよそ1/5、韓国の半分になる。国土は大部分が、日本ではちょうど仙台あたる北緯38度線の以北に位置し、厳冬期の平均気温は首都・平壌で-6℃前後、北部の中朝国境地帯で-15℃~-20℃という寒さだ。

アメリカとの対決の歴史

民族的には南に位置する韓国と同族で、1910年に日本により併合されるまで、朝鮮半島には国はひとつしかなかった。1945年の日本の第2次世界大戦での敗北を受けて、再び『ひとつの国』として出発すると思われたが、東西冷戦という歴史の激流に飲まれる形で、分断国家としての歩みを始めた。

その後の歴史の詳細にはここでは触れないが、韓国がアメリカと同盟を結んで自由主義陣営に加わる一方、社会主義を標榜する北朝鮮はアメリカと激しく対立してきた。

朝鮮半島の分断を決定的にしたのは、1950年に北朝鮮が南侵し、アメリカ主導の国連軍と戦った朝鮮戦争である。この戦争は1953年に休戦となるが、その後も朝鮮人民軍(北朝鮮軍)とアメリカ軍は戦場で激突している。北朝鮮は1966年から69年まで、空軍部隊をベトナム戦争に派兵し、北ベトナムに加勢してアメリカ軍と戦っていたのだ。

(参考記事:米軍機26機を撃墜した「北の戦闘機乗りたち」

冷戦崩壊で「崩壊」の危機

北朝鮮はまた、1973年の第4次中東戦争に際しても、エジプトなどの要請を受けて空軍を派兵している。このとき戦った相手はイスラエル軍だったが、これもまた、東西冷戦の中で米韓同盟に対抗すべく、社会主義陣営や中東・アフリカ諸国からの支援を強固にするために取った行動だった。

(参考記事:第4次中東戦争が勃発、北朝鮮空軍とイスラエルF4戦闘機の死闘

しかし1989年に冷戦が終結し、続いてソ連が崩壊すると、北朝鮮が後ろ盾としていた社会主義陣営は消滅してしまった。

東欧や旧ソ連の国々は、民主化や政変により、相次いで資本主義国家に移行した。中国やベトナムもアメリカとの関係を改善して市場経済の導入を進める中、北朝鮮だけが、冷戦期と同じ体制のまま残ってしまう。北朝鮮が『崩壊』する可能性が囁かれ出したのは、この頃からのことだ。

「恐怖政治」で生き延びる

実際、バーター貿易により有利な条件で食糧を提供してくれていた東欧社会主義圏が消滅してしばらく、北朝鮮経済は衰退の一途を辿る。1990年代半ばには『苦難の行軍』と呼ばれる大飢饉に襲われ、十万人単位の餓死者が出た。北朝鮮が最も『崩壊』に近づいたのは、間違いなくこのときだった。

(参考記事:「街は生気を失い、人々はゾンビのように徘徊した」…北朝鮮「大量餓死」の記憶

冷戦が終結したにもかかわらず北朝鮮だけが変わらなかったのは、社会主義をうたいながらも、実際には金一族の王朝国家と化していたからだ。独裁体制は、海外の情報が国内に流れ込まないよう、極端な統制を敷いて国民の目と耳を塞いだ。また、仮に体制のあり方に疑問を持つ人がいても、決して民主化運動などできないよう、『公開処刑』や『政治犯収容所』などの手段を駆使した『恐怖政治』で民衆を威圧してきたのだ。

とはいえ、北朝鮮とて世界の変化を前に何の手も打たなかったわけではない。

ギリギリの戦争回避

北朝鮮は、1980年代半ばから核兵器開発を本格化させたと見られている。そして1990年2月、アメリカの偵察衛星が、平壌の北方約100キロの地点にある寧辺(ニョンビョン)で使用済み核燃料の再処理工場と思われる施設が稼動していることを確認する。使用済み核燃料から抽出されるプルトニウムは、核爆弾の原料となる。

これ以降、寧辺に対する特別査察を迫るアメリカと拒否する北朝鮮の間で緊張が増し、第2次朝鮮戦争の勃発が現実味を帯びるまでに至った。これが、朝鮮半島の『第1次核危機』である。

しかし1994年、カーター元米大統領が民間人の立場で電撃訪朝して金日成主席と会談し、米朝合意への道筋を付けたことで危機は回避された。

「吸収統一」を恐れる

このとき北朝鮮が核兵器開発に乗り出したのは、旧ソ連などの後ろ盾を失った状態でアメリカと対決するには、核武装のほかに道はないと判断したからのはずだ。世界が北朝鮮の『崩壊』を予想していたその時、北朝鮮の指導者たちはなお、アメリカとの対決に備えていたということになる。

北朝鮮はすでにこの時点で、日米などとの協力で奇跡的な高度経済成長を遂げた韓国に国力で大きく水をあけられていた。核武装で逆転しなければ、いずれ吸収統一されるかもしれないとの危機感も強かったはずだ。

ただ、核問題を巡る交渉を重ねるうちに、北朝鮮とアメリカの距離は一時的にせよ縮まることになった。ここに目を付けたのが、金日成主席の後継者として世襲2代目となった金正日総書記である。

「ジャパンマネー」に食指

北朝鮮の核・ミサイル開発を巡っては、その後も「アメリカとの合意を破り秘密裏に開発しているのではないか」との疑惑が繰り返し再燃する。金正日氏は、そのような疑惑をテコにしてアメリカを交渉の場に引き出し、関係改善につなげようとしたのだ。

アメリカだけではない。北朝鮮は日本との関係改善も目指した。もともと北朝鮮と日本の間には、過去の植民地統治を巡る賠償問題が残っていた。日本との国交正常化にこぎつければ、巨額のジャパンマネーが流れ込む。

また、ライバルの韓国は1990年に旧ソ連と、1992年には中国と国交を結び、北朝鮮を外交的に包囲する形になっていた。この点でも、北朝鮮はアメリカ、そして日本との国交正常化で逆転をねらう必要があった。

拉致問題で膠着

日本と北朝鮮は1990年1月から国交正常化交渉を始めるが、間もなく暗礁に乗り上げる。きっかけとなったのは上述した『第1次核危機』だったが、1994年にアメリカと北朝鮮の間で関係改善に向けた『枠組み合意』(正式には『合意された枠組み文書』)が結ばれて以降も、日朝関係は膠着したままだった。

1990年代半ば、「北朝鮮で横田めぐみさんが目撃されていた」とする情報が伝えられて以降、日本人拉致問題を巡り北朝鮮に対する反感が日本で高まり、国交正常化に向けた環境がまったく整わなくなってしまったのだ。

こうした膠着状態を打開したのが、2002年9月17日の『第1次小泉訪朝』である。日本の首脳として初めて北朝鮮を訪問した小泉純一郎首相が、金正日総書記と会談。ここで、金正日氏が日本人拉致の事実を認めて謝罪したのを受けて、両首脳は「国交正常化を早期に実現させる」ことをうたった『日朝平壌宣言』を発表した。

米大統領の「悪の枢軸」発言

北朝鮮はこのときまで、日本人拉致の事実を頑なに否定していた。金正日氏が立場を翻した理由は第1に、2000年6月に韓国の金大中(キム・デジュン)大統領との間で南北首脳会談を成功させ、同年10月にはオルブライト米国務長官の訪朝を実現させるなどしたことで、日朝国交正常化によりジャパンマネーを獲得する条件が整ったとの判断があったものと思われる。

そして第2に、米ホワイトハウスの主が北朝鮮との対話に前向きだった民主党のクリントン政権から、共和党のブッシュ(ジュニア)政権に替わっていたことがあったようだ。ブッシュ氏は2002年1月29日に行った一般教書演説で、北朝鮮をイラン、イラクとともに「悪の枢軸」と呼んで世界の注目を集めた。

そして案の定、金正日氏のこのような外交戦略はブッシュ政権によって潰される。アメリカは小泉訪朝の直後である2002年10月、北朝鮮が高濃縮ウランによる核兵器開発を秘密裏に進めていた事実を暴露したのだ。

徒労に終わった対話

この後、アメリカと日本、韓国、中国、そしてロシアは北朝鮮との間で6カ国協議を持ち、対話により核兵器開発を断念させるべく努力を重ねるが、その取り組みは結局、徒労に終わった。

途中、北朝鮮が核開発計画を放棄することを条件に、米朝国交正常化や日朝国交正常化に向けた協議を始めるとする『共同文書』で合意されたこともあった。しかし、それも間もなく有名無実化し、6カ国協議は2007年3月に行われた第6回協議を最後に開かれなくなっている。

その後の北朝鮮は、衛星打ち上げロケットと称する『銀河2号』による長距離弾道ミサイルの発射実験(2009年4月5日)や、2回目の核実験(同年5月25日)を強行。2010年には韓国軍の哨戒艦を撃沈し、韓国領である延坪島への砲撃を行うなど、2000年代初めまでの外交攻勢とは打って変わった姿を見せる。

北朝鮮が対話を放棄した理由

かつては日本やアメリカ、韓国などとの関係改善を模索していた北朝鮮は、どうして対話の機会を放棄してしまったのか。その理由はいくつか考えられる。

関係各国が北朝鮮との交渉を通じて得たものは、「徒労感だけ」だと言われる。それと同様に、北朝鮮側もまた、日米との関係改善が遅々として進まず、経済支援を得られない現実に猛烈な徒労感を感じていた可能性が高い。

日本やアメリカのような民主主義国家との交渉では、一定期間内に目的を遂げなければ、それまでとはまったく性格の異なる政権が相手国に誕生してしまい、すべてが振り出しに戻りかねない。クリントン政権からブッシュ政権に替わったアメリカ、金大中と廬武鉉(ノ・ムヒョン)両氏の進歩派政権から、李明博(イ・ミョンバク)氏と朴槿恵(パク・クネ)氏の保守派政権へ移行した韓国が典型と言える。

金正日の焦り

そうしたことが繰り返される中で、金正日氏は時間的な余裕を徐々に失っていった。2008年8月には脳卒中で倒れたとされており、健康を害した晩年には焦りを募らせていたはずだ。

仮に、自分に残された時間をすべてアメリカなどとの対話に費やし、何の成果も得られなければ、後継者に残すものが何もなくなってしまう――金正日氏はそのように考え、核兵器を作ることを優先したのだ。

また、北朝鮮とアメリカの国交正常化が、時間の経過とともに「不可能さ」を増していたことも金正日氏の落胆を誘ったはずだ。

アメリカからの提案

2009年7月、オバマ前政権のクリントン国務長官(当時)は北朝鮮に対し次のような提案を行った。

「完全かつ後戻りできない非核化に同意すれば、米国と関係国は北朝鮮に対してインセンティブ・パッケージを与えるつもりだ。これには(米朝)国交正常化が含まれるだろう」

インセンティブ・パッケージとは、米国が国交正常化、体制保障、経済・エネルギー支援などを、北朝鮮は核開発プログラム、核関連施設はもちろん、ミサイルなどすべての交渉材料をテーブルに載せ、大規模な合意を目指すことを念頭に置いていたものとみられる。

素直に受け止めるなら、北朝鮮にとって悪い提案ではないように思える。

ところが、北朝鮮はこれに乗らなかった。理由はおそらく、人権問題である。

核開発の理由は人権問題

米国にはブッシュ政権時代に出来た、北朝鮮人権法という法律がある。日本人拉致問題も含め、北朝鮮の人権状況が改善されない限り、米国から北朝鮮への人道支援以外の援助を禁止すると定めたものだ。

恐怖政治で国民を支配する北朝鮮の体制にとって、人権問題は体制の根幹に触れるものであり、交渉のテーブルに乗せることなどできるはずがない。

ちなみに、国連総会は2005年から毎年、北朝鮮に人権状況の改善を促す決議を採択しているが、その共同提案国は欧州連合(EU)と日本である。このような人権問題の追及が、核兵器開発の理由のひとつとなっていることは、北朝鮮自身が認めているものでもある。

(参考記事:北朝鮮「核の暴走」の裏に拷問・強姦・公開処刑

金正日氏はこのような過程を経て、アメリカとの国交正常化は不可能であり、自らを守るためには核武装しかない、との結論に至った。そして2011年12月に金正日氏が死亡すると、金正恩氏はこの結論とともに、核開発計画を父親から引き継いだわけだ。

核・ミサイル実験はいずれ止まる

だから金正恩氏は、核戦力を整備するのに必要なだけ、核実験や弾道ミサイルの発射実験を繰り返すだろう。そこに、交渉の余地はない。

北朝鮮はおそらく、国際社会による制裁下でも必要な実験を行えるよう資材を備蓄しているはずだ。そして、技術やデータの蓄積が十分なレベルに達するか、制裁前に蓄えた資材が底をついたら、一方的に核・ミサイル実験の停止を宣言するだろう。そこで初めて対話に乗り出し、国際社会に制裁解除を迫るものと思われる。中国やロシアの支援があれば、制裁解除を勝ち取ることは夢ではない。

そして、さらに必要とあらば、実験再開と一方的な停止に至るプロセスを繰り返すのだ。

目標は中国・ロシア

そのようにして金正恩氏が目指すのは、冒頭でも述べた通り『普通の国』である。といっても、それは日本や韓国のような国を意味するわけではない。北朝鮮からすれば、日本や韓国はアメリカの「傀儡(かいらい=操り人形)」であり、まともな国ではないのだ。

金正恩氏が目指すのは、イメージ的には中国やロシアが近い。両国とも北朝鮮ほどひどくはないにせよ、人権侵害が横行し、言論の自由はないがしろにされ、民主主義的とは言えない状態にある。それらの問題について欧米からとやかく言われることはあっても、国際社会の有力メンバーとして振る舞っている。

何より、ロシアのクリミア併合のような無茶をやっても、イラクのフセイン政権やリビアのカダフィ政権のように、アメリカの介入でつぶされる心配をしていない。

「若さ」を武器に

さらに世界を見渡せば、国民の人権より体制の安寧が優先されているような、権威主義的な国家は少なくない。北朝鮮が目指すのは、そういった類の『普通の国』だ。

金正恩氏は核兵器で国の守りを固めながら、国際社会から見過ごしてもらえる程度に、徐々に人権問題の改善に取り組むかもしれない。実際、そのような動きが、ごくわずかながらすでに出ている。

さらにその次の段階で金正恩氏は、何らかの形で韓国を手中に収めようとするかもしれない。直接、アメリカや日本と関係改善できなくとも、韓国を従えることができれば、全世界へのアクセスが開かれたも同然だ。

もちろん、これは相当に遠大な構想である。だが、1984年1月8日生まれの金正恩氏には、若さという武器がある。達成できるかどうかは別としても、金正恩氏が相当な長期間にわたる戦略をもって核兵器開発に当たっているのは、間違いないと言えるだろう。