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1962年8月ブルガリアで北朝鮮留学生4人が『朝鮮戦争は北朝鮮の侵略戦争だ』、『北朝鮮のチェコ式経済開発計画は虚関だ』、『金日成選集を読むより聖書を読む方が正しい』等の内容の声明を発表した。

彼らは直ちに北朝鮮駐在員に捕まり、強制送還の危機からかろうじて脱出した。その後、ブルガリア国籍を取得することもできたが、29年間を無国籍者で過ごし1991年に韓国国籍を取得した。この内イ・サンジョン氏とイ・ジャンジク氏が14期民主平和統一諮問会議(事務総長キム・ビョンイル)海外地域会議参加のために韓国を訪問した。デイリーNKは10日、彼らとインタビューを行った。

1936年生まれの同年齢の2人は実父が抗日運動家(イ・ジャンジク氏)、小作農出身(イ・サンジョン)という出身成分おかげで学校推薦によって留学生候補に指名され、その後、道と中央の厳しい審査を経て1556年に21才の年齢でブルガリア留学に飛び立った。

当時、北朝鮮はロシア、東ドイツ、ハンガリー、チェコ、ルーマニア、ブルガリアなど東ヨーロッパ諸国へ留学生を派遣していた。イ・ジャンジク氏は「当時、金日成はブルガリアの250人余りを含む2千人余りの学生を留学させていた。戦争後、東ヨーロッパ社会主義諸国は北朝鮮の戦争孤児、留学生、大学生を留学として受け入れる政策を取っており、北朝鮮も幹部育成目的で積極的に活用していたようだ」と回顧した。

当時、彼らがブルガリアで反体制活動を計画できたのは、自由に情報を得ることができたためだ。 これが体制批判を行う意識の芽生えにつながった。特に北朝鮮はスターリン路線を支持していが、ブルガリアは反スターリン路線のフルシチョプを支持していた影響から反体制活動計画を実行に移すことができたと伝えた。

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イ・ジャンジク氏は「当時、我々がブルガリアとフルシチョプ路線の支持を表明した理由は、ブルガリア政府の支持を得るための行動だった」と発言した。

「留学を派遣した3年後の1959年の夏休みを利用し、全留学生を一時帰国させ1ヶ月に渡る思想教育を行ったが、その時に北朝鮮が統制社会ということをより一層認識するようになった」と話した。

一時帰国した250人の中、再びブルガリアに向かう事の出来た人員は80人余りに過ぎなかった。4人だけが声明に参加した理由に対して、「当時も北朝鮮の統制と監視は途轍もなかった。人が増えれば事前に発覚する危険が高かった」と話した。

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声明発阜縺A北側大使館に捕まった4人は2人ずつ別々に監禁されたが、イ・サンジョン氏とイ・ジャンジク氏は監視の隙を突いて、監禁後1ヶ月で脱出に成功した。(続く)