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朝鮮戦争拉致被害者家族協議会が7日に主催した『朝鮮戦争拉致被害者を記憶する日』の記念イベントに参加した朝鮮戦争の拉致被害者家族らは、DNAサンプルを摂取し永久保管することにした。

チェ運営委員は「今後、統一や拉致認定などで遺体発掘などの許可に備える為だ。拉致被害者のDNAサンプルで遺体の家族を探し易くする為だ」と話した。

また、毎年父の日にカーネーションを送る事ができない戦争拉致被害者へ顕花する時間も設けた。

顕花を終えたキム・ジソン(76歳・男性)さんは「心労は計り知れない。言葉が出ない」と話した。キムさんは1950年8月15日に突然北朝鮮軍が訪れ、父親と別れてしまった。当時、キムさんは中国3年生だった。
他の戦争拉致被害者家族は質問に答えずに、ひたすら涙だけを流した。

この日のイベントでは北で生まれ脱北した戦争拉致被害者の娘のチャン・ギファ(仮名・女性)さんの証言も行われた。

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「18歳の時に祖母と一緒にいた。早く出ろという声が聞こえた。お父さんが長男だったので、出て行った。それが最後だった。訳も分からず集められた男性と女性が大勢いて、彼らは昼間に歩き始め夕方に到着したと言う。到着後に人民軍から洋服と銃を渡された。銃の長さは伸長とほぼ同じだった。母の具合が悪いので早く帰らなければならないと言ったら、殴られた。そして永遠に会うことができなくなった。

これはチャンさんが父から聞いた拉致の瞬間だった。父親は訳も分からず連行さ、北朝鮮であらゆる苦労をした。3日に1回は連行され、それまでの行動を書面で提出させられた。故郷の話は出来なかった。チャンさんの近所には韓国軍捕虜の5家族が住んでいたが、彼らが亡くなった際にも葬式にも出席できず、部屋で一人で涙を流しただけだったと言う。

『拉致被害者』という父の『遺産』は、チャンさん7兄弟には消せない苦痛だった。父親の出身のせいで職業も結婚も思い通りにできなかった。

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チャンさんも党幹部の息子と結婚はしたが、旦那の出世のためには離婚せざるを得なかった。それが34歳の時だ。あまりにの悲しさに、「責任も取れない子供をなぜ産んだのか」と父親に怒鳴ったりもしたと言う。

チャンさんは父に関する思い出や拉致被害者家族の悲しみと痛みについて話している間、ひたすら涙を流した。

この日のイベントには、国家人権委員会のヒョン・ビョンチョル委員長と統一部のオム・ジョンシキ次官、そして朝鮮戦争拉致被害者家族300人余りが出席した。

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ヒョン・ビョンチョル委員長は激励辞で「これまで拉致被害者は勿論の事、その家族がさらされてきた苦痛を理解し心からの哀悼の意を伝える。国家人権委員会は拉致被害者問題はもちろん、北朝鮮人権の改善と解決に積極的に努力する」と話した。

スケジュールの問題で出席ができなかったハンナラ党のキム・ムャ悼@内代浮焉u北朝鮮も戦争の拉致被害者をはじめ、韓国軍捕虜問題から目を逸らすのではなく、拉致の事実を認め被害者家族へ謝罪すべきだ。そして、いち早い犠牲者の生死の確認や遺体送還を実施すべきだ」と話した。