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慶尚道のハプチョン出身のある人が、官運があって国の守令様を勤めたが、守令様をやめて江原道の景色のよい山奥の寺で、夫婦が流刑生活をし、俗世に出てきた後、通帳に29万ウォンを入れておいて、その利子(?)で一生好衣好食して大口をたたきながらよい生活をする国が、誇らしき大韓民国である。

この身も栄え栄えしく生まれて、間が抜けた日々を送っているが、もう半分のかたわれの国で、無知で間抜けなことを言うのに驚き、ひっくり返りそうになったことがあるので、ここで紹介したい。

“祖国のセメントで休戦ラインを阻む?”

かつて南側で、百万号アパート建設によって、セメントが随分不足し、中国から安価なセメントをやたらに輸入して、海の砂まで輸入して、中が腐るとは考えずに、欠陥アパートが雨後の竹の子のように立てられた時があった。それを見ていて、一度セメントを輸入してみようと思うようになった。

平壌を訪問して相談したら、ちょうど水産委員会に割り当てられたセメント2万トンがあるというので、しめたと思って契約した。水産委員会ではこのセメントを売って、そのお金で必要な品物を購買するということだった。国に現金がないから、各企業所や各部署に現物を割り当てて、自分で解決するようにという政策だった。

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価格は1缶あたり25ドル。当時、中国では1缶あたり26~28ドルした。条件は、1トンまたは1.5トンのぎっしり詰まった’ジャンボ’を供給してもらうというものだった。’ジャンボ’は中国から平壌に到着した値段が、1つあたり運搬費を含めて1ドル20だった。適当な価格だった。

取り引き条件は、水産委員会が必要な漁の道具や船舶消耗品を日本から購買したいのだが、日本で信用状を開いてほしいというものだった。

韓国のセメント輸入業者と契約をして、日本で信用状を開いた。中国にジャンボも注文して、いつ頃それを平壌に送るかという消息だけ待って、およそひと月が経ったが、まったく連絡がなかった。

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販売契約を、ある韓国のセメント業者が督促し始めた。進展が全くない。しびれを切らして、平壌に駆け付けた。水産委員会ではセメントは確保しておいたから安心しなさいと言う。

だが2日後に、とばっちりのような、言葉も出ない話を聞いた。しかも、中央党の実力者の言葉だという。南に行くことは絶対にだめだ。理由はすなわち、”祖国のセメントで休戦ラインの障壁をもっと丈夫に積むために輸入するのだから、契約を取り消しなさい!”というものだった。

上部の特別指示だから仕方がないと言うが、私もこれといった妙案が浮かばない。

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上部の指示 “絶対に売れない”

開いた口が塞がらなくて、私は紙に’朝鮮の地図’を大まかに描いて、88オリンピック高速道路を全羅南道の光州市から慶尚南道のハミャンまで、濃い線をぐっと!引いて説明をした。

“今から私の話をよく聞いてください! 全羅道の光州から慶尚道のハミャンまで、どうしても必要な道でもない。どうして道路をアスファルトでなく、セメントで作ったと思いますか。当時、韓国のセメント協会の会長が、全斗換の親戚でしたが(信じようが信じまいが)、当時、セメントの在庫が輸出をしてもあまりにも多く、全斗換大統領と協会の会長が相談して妙案を出し、光州からハミャンまで(赤い色の鉛筆で太い線をぱっと!引きながら)、ここからここまでアスファルトで道を作らずに、セメントで高速道路を作れば、セメントを消費できるのではないか。そうしてセメントの在庫を消費して、工場を稼動させ続けて、セメント業界を再び活発にさせたという実話があります”

私は”休戦ラインのコンクリートの障壁は、朴正煕時代に積んだのですが、どうしてまた障壁を積むのですか。そんなことは言わないでください”と言った。

いくら言っても無駄だった。

“南朝鮮の建設に使うためには、絶対に売ることができません。党の指示です”

とても強硬だ。言って何になるのか。無知なXたち。頭が固いXたち…

貿易というのは、私が品物を売ったとしても、必要ならば私が売ったその品物を、また高い値段で売ることがあるのに。これが貿易だ! だが、馬の耳に念仏だった…

とにかく、対北セメント事業はこうして恥をさらしただけで終わってしまった。中国で1.5トンの‘ジャンボ’セメントの製造契約金も失い、結局私は、1万ドル以上の損失を喫してしまった。