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わずか6、7年前まで、北朝鮮国内の麻薬は、一部の高位幹部と華僑のようにお金持ちの特権層の間で密かに流通していた。北朝鮮で生産された阿片やヘロインなどは、外貨稼ぎのために海外に販売された。

北朝鮮は国家レベルで麻薬を生産して輸出する。北朝鮮の船舶や外交官らが麻薬の運搬や販売の容疑で、第3国で摘発される事例はあまたある。韓国政府は1998年に、北朝鮮の外貨調逹内訳のうち、麻薬の密売などの不法行為による外貨稼ぎが1億ドルに達すると推定されると明らかにした。

1970年代から小規模かつ密かに始まった北朝鮮政府の麻薬事業は、1992年から金正日総書記の指示によって、事実上国家的公式事業として浮上し、本格的な生産が始まった。同年8月に金委員長は、ケシの栽培事業を’白トラジ事業’(White Bellflower)と名付けた。

100万ドル以上麻薬を販売する人に、「白桔梗(ペクトラジ)英雄」の称号を与え、”外貨獲得のために阿片を大々的に輸出しなさい”と指示した(1998年11月6日、国家情報院の国政監査で、イ・ジョンチャン前国家情報院長が、国会情報委員会に報告した資料)。北朝鮮の麻薬生産工場は、清津の羅南(ラナム)製薬工場と咸興の興南製薬工場が有名だ。

生活に追われる一般の住民にとって、高価な麻薬は一部の特権層の逸脱行為程度に思われた。北朝鮮政府も外貨稼ぎ以外の麻薬流通の行為に対しては、厳格に取り締まったため、これでお金儲けするなどとは考えもしなかった。

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国家の配給が崩壊した後、麻薬販売も拡散

だが、食糧難は北朝鮮の麻薬生産と流通にも大きな変化をもたらした。国家が配給の責任を負う計画経済システムが崩壊し、住民たちは生活のために商売を始めた。金儲けがはかばかしくない北朝鮮でも、市場にはお金の香りが漂う。

市場と総合市場の活性化は都市の住民に、なんとか生存することができる機会を提供した。人々は同時に、生きて行くためにはお金が最高という認識を学ぶようになった。多額のお金を儲けることができるならば、何でもいとわないという風潮がはびこり始め、その隙間から麻薬が忍び込んできた。

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北朝鮮で一番多く流通している麻薬はヒロポンとヘロインだ。ヒロポン生産の中心地は咸鏡南道咸興だ。

咸興は化学部門の会社が多い、北朝鮮の化学工業総合基地だ。

代表的なものが2・8ビナロン連合企業所(旧ボンクン化学)だ。その他に興南肥料工場、興南製薬工場をはじめとする工場にも勤務する、北朝鮮最高の化学研究者排出基地である咸興化学工業総合大学(5年制)がある。

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咸興がヒロポン生産の中心地になった理由

ビナロン企業所の原料は、ホンウォン郡のウンポ鉱山の石灰石で、興南肥料工場の原料はホチョン郡のプドンとマンドク鉱山の硫化鉄だ。

こうした理由から、咸興には化学研究者が多く住んでいる。問題は食糧の供給が中断され、生活が困難になり、彼らがヒロポン生産に目を向け始めたということだ。

彼らは実験室と原料さえあれば、質のよいヒロポンをいくらでも生産することができる。特に、中朝貿易が活性化して、日朝貿易の大きな制約がなかった2000年代初頭には、ヒロポンに対する外部の需要が爆発的だったという。

咸興の住民、チェ・ミョンギル(仮名)氏は“創始期には貿易業者たちが研究者に原料と資金を提供すれば、研究者たちは質のよいヒロポンを作って利潤の半分を分けていた。貧しい研究者たちはどこにお金があるというのか?貿易業者たちが中国と日本で注文を受けて売るから作った。また、賄賂で保安署や保衛部の口止めまですべてしておき、恐れるものもない。お金があればできないことがないというのに、それだけ大きな金儲けのチャンスを逃す研究者がどこにいるのか”と語った。

チェ氏は“ヒロポンは北朝鮮で原価が1キロ当たり3000ドルに過ぎない。これを売れば座ったまま、6000ドルをもらうことができる。製造したヒロポンを中間取引業者に渡すこともできて、直接新義州に持って行って販売商に渡したら、9000ドルから1万ドルはもらえる”と言った。

また、“科学院の咸興分院研究室で働いている私の友達も、貧しかったがヒロポンを作って一瞬にして金持ちになった。私もその人の世話になっている。咸興には、ヒロポンを作って金持ちになった人が多い”と明かした。

結局、中朝貿易商たちが中国から原料を持ち込んだら、咸興化学研究所の研究者たちがヒロポンを製造して、貿易商がこれを中国に持って行って販売する。この過程に、中国の犯罪組職が直接介入することもある。〈続く〉