4月20日、北朝鮮から亡命し韓国で暮らす黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記の暗殺を企てた北朝鮮の工作員2人が検挙された。同様の事件は、1997年にもあった。「李韓永(イ・ハニョン)氏暗殺事件」である。韓国当局はこの事件を、北朝鮮の南派工作員による最初の脱北者殺害と見ている。

李氏は、北朝鮮にいたときの本名を李一男(リ・イルナム)という。1960年に平壌で生まれた李氏は、故金正日総書記の2番目の妻・成蕙琳(ソン・ヘリム)氏の姉・成蕙琅(ソン・ヘラン)氏の息子だ。

平壌では、正日氏夫妻や2人の息子・正男(ジョンナム)氏と生活をともにし、金王朝の深奥の秘密に通じていた。

「喜び組」を暴露

同氏はモスクワ留学1期生に選抜され、1978年にモスクワ外国語大学文学部に入学する。フランス語研修のためにスイスのジュネーブに渡るが、1982年、現地の韓国公館を通じて韓国に亡命した。

その後、1987年12月にロシア語放送のプロデューサーとしてKBSに入社。ソウル五輪では通訳兼記者として活動した。

この頃、韓国人女性と結婚して家庭を築き、1990年にKBSを退社し事業家に転身。だが、苦労を知らずに育った上、韓国のビジネス事情に疎いこともあって、商売はまったく上手くいかなかった。

李氏は1996年、金正日氏とロイヤルファミリーの私生活を赤裸々に綴った手記『大同江ロイヤルファミリー・ソウル潜行14年』を出版。それ以降も各種メディアを通じ、「喜び組」や「秘密パーティー」など、体制の恥部とも言える秘話を暴露していく。

エレベータ前で

これに、正日氏は激怒したという。

李氏は1997年2月15日、京畿道城南市盆唐区ソヒョン洞のアパート14階のエレベーター前で、2人組の男に銃撃された。ただちに病院へ搬送されたが、10日後に死亡する。

本人は襲撃を受けた直後、意識を失うまで『スパイ』にやられたと話していたという。現場には北朝鮮の工作員が用いる拳銃の薬きょうが残されていた。

また李氏は以前から、北朝鮮からテロ予告を受けていたし、韓国の情報機関も危険情報を入手していた。

状況証拠は、北朝鮮工作員による犯行を強く示唆していたが、犯人を特定するには至らなかった。

「夫婦スパイ」の供述

しかし8か月後、事態が動く。

1997年10月、韓国に夫婦として潜入していた2人の工作員――チェ・ジョンナム(当時35歳・男性)とカン・ヨンジョン(同28歳・女性)が摘発された。いわゆる「夫婦スパイ団事件」である。

2人は韓国当局による取り調べに対し、「李氏殺害は金正日総書記の命により、北の社会文化部所属のテロ要員、チェ・スンホと氏名不詳の20代の男の2人で構成された特殊工作チームが実行した」と供述。殺害実行の1カ月余り前に韓国に潜入していた彼らは、事件後には北に戻って英雄称号を授与され、新たな任務のために整形手術を受けたとも説明したという。

韓国政府に賠償命令

1997年2月は、冒頭で言及した黄元書記が中国の韓国大使館に駆け込み、北朝鮮の工作員が周囲を取り巻く中、韓国入りの機会をうかがっていた時期だ。

黄氏は李氏殺害を知り、「亡命直前の私に対する警告だ」ととらえたという。

一方、李氏の遺族は2002年、「韓国政府が保護を怠ったために殺害された」として提訴。最高裁判決により、韓国政府に9600万ウォン余りの賠償命令が下っている。

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