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金正日は平壌第1初級中学校と南山高級中学校(高校過程)に通った。当時、金正日は平壌中区にある、金日成のチャングァンサン旧官邸(5号宅)で暮らした。金正日、キョンヒ、キョンジン、ピョンイル、ヨンイルなど、金日成の五人の子供は皆、南山高級中学校を経て、金日成総合大学に入学した。

初級中学校2年生の金正日は、学校の少年団の委員長にも選ばれ、南山高中では民主青年同盟副委員長(委員長は教師が引き受ける)も務めた。このため、金正日の伝記には、彼の学業の成績が全過程全科で最優等だっただけでなく、学生たちの間で卓越なリーダーシップを発揮したと書かれている。

金正日の学科の成績が正確にどの程度だったのかはわからない。南山高中教員出身の証言者と、金正日と中、高等学校生活を一緒に送った人たちの言葉を総合すれば、成績は ‘中程’だったと言う。また、サッカーと釣り、狩りに関心があり、南山高中時代に、すでにオートバイや乗用車に乗って通ったという。金正日がスピードを出すことを好むことは広く知られた事実だ。

後日、金正日と最初に同居した女性、成恵琳の姉、成ヘランは、金正日官邸に入り、キム・ジョンナム(成恵琳との間に生まれた金正日の長男)の教育を担当するようになる。 成ヘリムは北朝鮮を脱出して、西側のある国家に留まっていると知られている。彼女が過去を回考しながら書いた本 <藤の家>では、青少年時代の金正日を、‘南山高中時代にバイクに乗って、騒々しくイ・ギヨン(朝鮮作家同盟委員長、成恵琳のしゅうと)の家の路地に立ち入ったりした10代の首相様の息子’と描写している。

幼い時の内気な性格もこの頃変わった。ロシアに住む彼の中、高等学校の同窓は、“金正日はどんな友達ともよく付き合ったし、何でも情熱的にするスタイルだった”と言っている。 中、高校時代に学科の勉強が金正日の関心を大きくひくことはなかったようだ。このような金正日を心配した金日成は、普通の父親のように息子の教育にことさら気を使ったと思える。金日成家の側近が証言したエピソードがある。

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金正日が南山高中に通っていた時だ。ある日、金日成が正日の担任教師を夕食に招待した。担任が来るやいなや、金日成は金正日を連れて官邸の前庭まで出て、丁寧に迎えた。金日成は自分はタバコを吸わないが、担任にはタバコを吸うように勧めた。金正日が驚いた表情で父親を眺めた。

話題が金正日の学科の勉強に移った。担任は金正日に“今日の各科目の宿題は何であり、どの位やったか”と聞いた。 金正日はぐずぐずしていた。その日、各科目の宿題が何なのかよく分からなかったのだ。

すると金日成が口を割った。

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“先生、垂オ訳ありません。これからは難しいとおっしゃらずに、月に一度は必ず立ち寄ってください。今日、訪問してくださらなかったら、私はこんなことも分からないところでした”

金日成が担任を家に呼んで丁寧に仕えたのは、金正日が首相の息子であるといって、うぬぼれることがないようにするためであった。

南山高中在学中の1959年1月、金正日はソ連共産党の第21回大会に参加する父親の金日成について、ソ連を訪問した。 この時、金日成の書記だったファン・ジャンヨプも遂行した。当時、ファン・ジャンヨプは労働党中央委員会委員長(総書記)書記室の書記だった。韓国では、大統領首席秘書官に当たる。

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ファン・ジャンヨプによれば、ソ連訪問の間、庶オ歳の金正日が金日成の日程を、自分が主導して組むほど、‘馬鹿にできない’姿を見せたという。以下はファン・ジャンヨプの回想である。

彼は公式行事には参加しないで宿所に残っていることが多かったが、そうした時は私にも残ってくれと言って頼んだりもした。彼と話をしながら受けた印象は、幼いにもかかわらず、政権に対する欲望がかなり強かったということだった。

夕方になり、金日成が帰って来れば、金正日は副官たちと医者、看護婦など、随行員たちを集合させておいて、その日あった事に対して報告を受け、あらゆる指示をした。 金日成を遂行した代表団の中には、中央党政治局員も多かったが、金正日が金日成の事業を直接把握して、副官と随行員に具体的に仕事を指示するということは、常識を越えた行動だった。私はもしかしたら、この少年が自分の叔父(キム・ヨンジュ)を追い出して権力を継承するかも知れないと考えた。

“金正日が自分の叔父を追い出して権力を継承するかも知れない”と言うファン・ジャンヨプの予告は後で現実になる。金正日は70年代に入るや否や、本格的に叔父のキム・ヨンジュと権力争いをする。この権力争いは‘誰がより金日成を偶像化するか’ということに集中し、この‘ゲーム’で金正日は金日成とパルチサンの老幹部たちの信任を得ることに成功する。

ようするに、金正日は我が国の財閥2世のように、父親から権力を受け継いだ‘皇太子’ではない。息子に権力を譲ろうとする金日成の私心と、金正日自ら権力を争取しようとする欲望が共に働き、権力が子供に譲られたのである。