金正日の息子を生んだ妻は成恵琳(2002年5月、65歳で死亡)と高英姫(2004年6月、57歳で死亡)の2人だ。1960年代末から一緒に住み始めた成恵琳との間には正男、79年頃から同居に入った高英姫との間にはジョンチョル、ジョンウンの兄弟がいる。
金正日は父である金日成が知らないうちに正男をもうけた。金正日は ‘初孫’ができたという事実を金日成にいつ知らせるか、悩んだようだ。一度は金正日の妹、金キョンヒが成恵琳を尋ねて、“お姉さんは私たちのお兄さんより年も多くて(5歳年上)、一度結婚して子供までいる女性ではないですか。正男は私が育てるので出て行ってください。老後はしっかり保障します”と言った。
怒った成恵琳は子供(正男)をおぶって、しゅうとの所に行って話すと金正日を問いつめた。金正日はまだ時ではないと成恵琳をなだめた。成恵琳が意地を張るので、金正日が頭に来て拳銃を抜いたこともある。金正日は結局、正男が4歳の時の75年に、正男を金日成の所に静かに連れて行った。金日成は初めはひどく怒ったが、後で孫が生まれたことを喜んだ。(金正日の妻の甥、李韓英)
金キョンヒが成恵琳に出て行くようにと言った73年頃から、成恵琳の健康は悪化した。(息子を奪われるかも知れないという)不安が原因だった。(成恵琳の姉、成ヘラン)
‘金日成3年喪に服す’ことを提案した高英姫に胸を打たれて
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面金正日が高英姫と同居した後も、成恵琳に知らん振りをしたわけではない。77年に成恵琳が平壌のボンファ診療所(党の幹部専用の病院)に入院した時は数時間ずつ病床を守った。時折涙を見せながら、“早く治らなくてはならない”と慰めもした。
金日成は正男が生まれたという事実を知らないまま、金正日を正式に結婚させた。金正日が33歳だった75年のことだ。相手は金日成の執務室のタイピスト、金ヨンスク(58歳)だった。党の幹部たちの間では、‘ャWャン洞(キム・ヨンスクの家)の奥様’で通っている。金ヨンスクは何の職責もない。金正日とキム・ヨンスクの間には、ソルソンという娘がいる。ソルソンは外部に全く知られていない。
この数年後、金正日は高英姫に出会った。高英姫は在日朝鮮人出身の柔道家、コ・テムン(プロレスラー、力道山と親しく、北朝鮮に行った後、北朝鮮柔道界の師として活動)の娘であると同時に、舞踊家だ。金正日は日本の映画を見た後、“日本の女優の中では、吉永小百合が一番きれいだ”と言ったりもしたが、高英姫は彼女に似ている。(金正日の料理人、藤本健ニ)
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面高英姫は80年代に入って平壌の金正日の邸宅で暮らしながら、金正日が各地に移動する時、一緒に出かけることが多かった。事実上の正妻の役割だった。高英姫は金日成が死亡(94年)すると、3年喪に服すことを真っ先に提案して、金正日を感動させたという話がある。
第11期最高人民会議代議員選挙(2003年8月)の時の、金正日の選挙区(649区・どこなのか知られていない)を高英姫が決めてやったという話もある。高英姫は乳腺癌などにより他界した。それまで、人民軍に対する講演資料では、高英姫が‘尊敬するお母様’で通っていた。外部の世界はこれを偶像化と解釈した。金正日の妹、金キョンヒの夫である張成沢が失脚(公式舞台から消えた)したのは、これより6ヶ月ほど前の2003年夏だ。
その後、金正日の後継者は金正日と高英姫の間のジョンチョル、ジョンウンのうちの1人になるはずだという観測が多くなった。
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90年代後半までは、正男が後継者の順位のトップに上っていた。70年代末、金正日はある日、正男を自分の執務室に連れて行った。金正日は会議室の中央席を示し、“お前が成長して大きな声を出す席だ”と言った。(李韓英)金正日は正男が幼い頃、自分と違って足が滑らかだったことも誇らしく言い、‘権力の長子相続’を疑わせることはなかった。
金正日はいつも正男を前に歩かせ、“あいつの足をちょっと見てごらん。電柱みたいだね。お尻を振って歩いたりはしないよ”と言いながら喜びを現わしもした。(成ヘラン)時期は明確ではないが、金日成も“正男は経済を学ばなければならない。それでこそ民族を導いて行くことができる”と言ったことがある。(朝鮮日報2001年5月14日付報道)
しかし、成ヘランが1996年に西側に亡命し、正男は脅威を受け始めるようになった。金正男が偽造パスポートを持って日本に密入国を試みたが、摘発された事件(2001.5)も原因となった。
それ以降、後継者の話が出たらジョンチョル、ジョンウン兄弟が先に登場するようになる。ジョンチョルはスポーツや芸術的才狽ェすぐれ、アメリカのプロバスケットボールのNBAの熱烈なファンだ。コンピューターなども得意だ。金正日はジョンチョルに対して、“あいつはだめだ。女の子みたいで”と評価した。(藤本健ニ)ジョンチョルは労働党の組職指導部第1副部長という説があったが、韓国情報機関の高位関係者は“根拠が希薄だ”と言った。
ジョンウンについては、ジョンチョルほどは知られていない。どんな職責なのか、結婚はしたのか、すべてベールに包まれている。藤本健ニ氏はジョンウンがジョンチョルより金正日に似ていて、体形までそっくりだと書いている。金正日はジョンウンについて、“リーダーシップがある”と語った。(韓国情報機関の元高位関係者)
2000年7月16日。藤本氏が金正日一家と白頭山に登った時のことだ。ジョンウンが藤本氏に“あっちの方に行こう”と言った。ジョンウンは一緒に用を足そうと言った。ジョンウンと藤本氏は爽快に用を足した。それから3日ほど経った時のことだった。藤本氏が飲むビールがなくなったと言うと、ジョンウンはどこからかハイネケンビールを探して来た。ジョンウンは他人に気配りすることができる性格という証言がある。
それでも金正日が果たして後継者を立てるか、立てるのであれば誰にするのか、断言できる人はいない。60代の金正日が、まだ後継者を育てそうには思えないからだ。ただ、正男よりも高英姫の子供であるジョンチョル、ジョンウン兄弟のうちの1人がより有利だという分析だけが出ている。<出処:nkchosun.com>
イ・ギドン国際問題調査研究所研究委員