人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

珍しい誕生会があった。トルクメニスタンでのことだ。

6月29日は、グルバングルデ・ムハメドフ・トルクメニスタン大統領の50歳の誕生日だった。国家レベルの誕生会が準備された。誕生日のプレゼントは金やダイヤモンドで飾られたネックレス。太めの金の鎖と宝石で飾られ、重さは1キロに達したという。

それだけでなく、賞金2万ドルが与えられ、年金と給料も30%上がった。トルクメニスタンの国民は実際の大統領の給料がいくらなのか、誰も知らない。

現大統領ムハメドフの前の大統領は、悪名高いニアゾフ大統領だった。彼は40個の誕生日の祝いのネックレスをかけると広言したが、2006年12月21日に突然死亡した。死因は心臓麻痺だった。

21個のネックレスで満足したまま、彼の21年間の独裁に終止符が打たれた。彼は旧共産政権時代には、最高会議の議長だった。ソ連の崩壊とともに独立したトルクメニスタンは、1990年10月に、直接選挙制で最初の大統領選挙を行い、単独出馬した共産党出身のニヤゾフが大統領に就任した。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

‘地方病院の閉鎖’ ニヤゾフの猟奇的独裁

1994年1月に、1997年までの任期を2000年末まで延長する国民投票を実施し、通過させた。1999年12月には総選で再び勝利、議会を掌握し、議員たちの投票で‘終身大統領制’を通過させた。

彼の独裁は北朝鮮の金正日に劣らないほど、想像を絶するものだった。首都と全国各地に自分の銅像を立て、金箔をぬった20mの高さの金の銅像は太陽にあわせて24時間で1周するようにし、奇想天外な独裁の発想を演出した。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

母に対する情が厚く、1年を12ヶ月ではなく、8ヶ月に変え、各月に母の名をつけた。自分の母を称えるために、中央アジア最大のモスクを建立する‘大歴史’も行った。

病気の人は首都に来るようにと言い、首都の外郭と地方のすべての病院を閉鎖した。保健改革という名分で、保健機関に勤務する15,000人を一度に解雇した後、自分に忠誠を誓う軍隊にその仕事をまわした。

医師にはヒポクラテス宣誓の代わりに、自分に対する忠誠の誓いに誓約させた。テレビ放送や結婚式などで、‘録音伴奏’を禁止させ、甚だしくは自動車にラジオを取り付けることも禁止した。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

ニヤゾフ元大統領、2006年に心臓麻痺で他界

そのほかにも、砂漠の国に‘氷の宮殿’を建てるように言い付ける彼の猟奇的独裁行為はあまりに奇抜で、数え切れない。

ニヤゾフ元大統領は2006年にアメリカの週刊誌、‘バレード’が発表した世界の10大独裁者に選ばれた。金正日がスーダンのオマ・アル・バシル大統領に次いで2位になり、ニヤゾフは8位にランクインした。

旧ソ連の崩壊により、中央アジアに多くの新しい国が誕生した。悲しいのは、その多くの国が、共産独裁時代の権力を継承したり、掌握して独裁を続けているということだ。

ソ連の崩壊後、改革を唱える勢力が現れたが、能力がなく、また腐敗により、これといった成果を出すことができずに、結局、新しい独裁者が登場した。

だが、2000年代の民主化熱風が中央アジアに吹いたことを思い出す必要がある。グルジアの‘ばら革命’、ウクライナの‘オレンジ革命’、キルギスタンの‘レモン革命’などは、この地域にも民主化の流れが来ていることを物語っている。

ニヤゾフのように、きらびやかな誕生会を開いたムハメドフ現大統領だが、21年間の独裁を乗り越えて、改革の青信号を発しようとする姿が伺える。

彼はニアゾフ体制の不正、腐敗の清算のために努力し、インターネット・カフェの開設の許可などの開放措置をとり、福祉政策では教育への投資や年金改革などの歩みを見せている。

旧ソ連時代の労働者の平均月給、90ドルを今も維持しているトルクメニスタン。天然ガスが豊富な国という名声に釣り合う経済と民主主義の発展が実現しなかったら、ムハメドフ現大統領の体制も、革命の熱気から自由になるのは困難であるという点を肝に銘じなければならないだろう。