金正恩党委員長の異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏の遺体が、殺害現場となったマレーシアを離れ、祖国である北朝鮮に向かっている。

同氏の殺害事件をめぐり関係が悪化していた北朝鮮とマレーシアは30日、共同声明を発表して次のように明らかにした。

「朝鮮民主主義人民共和国が死亡者の家族から遺体に関連するすべての文書を提出したことから、マレーシアは遺体を朝鮮民主主義人民共和国にいる死亡者の家族に送還することに同意した」

ここに登場する「家族」は、正男氏とともにマカオで暮らしていた息子のキム・ハンソル氏や、その妹と母親のことでもなければ、北京にいると伝えられる別の妻子のことでもない。

マレーシアの現地メディアなどの報道によれば、北朝鮮はマレーシアとの交渉で一貫して、「死亡したのはキム・チョルという人物であり、彼の妻であるリ・ヨンヒが遺体の返還を求めている」と主張していたという。

果たして、「リ・ヨンヒ」なる女性は実在するのだろうか。

正男氏の父の故金正日総書記は、凄まじい女性遍歴で知られており、世に知られているのとは別の妻が存在したとしてもさほど驚くことではない。

正男氏もまた、われわれの知らないある時点で、北朝鮮国内に暮らす女性と婚姻関係を結んでいた可能性はゼロとは言えないだろう。

しかしそれにしても、正男氏の偽名である「キム・チョル」に妻までいたとは、出来過ぎに思える。実際、韓国当局は「リ・ヨンヒ」なる人物が実在する可能性について「希薄である」と見ているもようだ。

そもそもマレーシア政府は、遺体が金正男氏であることを、彼の子どもから提供されたDNAサンプルとの照合によって確認していた。それにもかかわらず遺体を北朝鮮へ送還したのは、ひとえに、人質に取られていた自国民を早期に帰国させるためだったのだろう。

心配せずにいられないのは、ハンソル氏ら正男氏の家族の今後である。

北朝鮮は、衆人環視の中で正男氏を殺害し、国際社会から厳しい視線を浴びながらも正男氏の遺体を持ち去った。

正恩氏はいま、「オレのすることを邪魔できるヤツはいない」とでも思っているかもしれない。そして、その彼の視線の先に、金王朝の4代目であるハンソル氏がとらえられていないことを願いたい。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

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