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金日成氏は、功績を上げたある労働者に会って話をすることになっていたが、工場の政治保衛部がやめさせた。理由は、その労働者の出身成分が悪いということだった。それを知り不満を抱いた工場の責任秘書は金正日氏に「保衛員が党の群衆路線を妨害している」と密告した。

金正日氏は、中央党8課(政治保衛部担当)の副部長を責任者とする党中央組織指導部特別グループを派遣し、徹底した検閲を実施。そのせいで、政治保衛部はズタズタになる。幹部はもちろんのこと、金炳夏氏の家族、親戚すべてが厳しい取り調べを受けた。しかし、本人は「プロレタリア独裁を弱化させる」との理由で検閲を拒否した。

その報告を受けた金正日氏は、「秘密裏に除去」することを命じた。追い詰められた彼は1984年2月、自ら命を絶った。そして、「国家政治保衛部」は名称から「政治」が取られ、国家保衛部に格下げされる。