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情報筋によると、この商人は、地元の両江道の市場で、リンやカリ肥料が売れているのを見て、労働新聞で報じられている興南肥料工場で肥料を直接買い付けて、地元で売れば儲かるだろうと見込み、遠路はるばるやってきたというのだ。

地域住民はそんな彼を「世間知らず」「頭がおかしい」「携帯電話で確認すべきだった」「まだ労働新聞を信じるやつがいるのか」などと散々バカにしたとのことだ。

興南肥料工場は、朝鮮が日本の植民地支配下にあった1930年、日本窒素肥料(現チッソ)が建設したアジア最大の肥料工場が前身だ。当時は年間50万トン近い生産量を誇ったが、老朽化が著しく、リン、無煙炭、電力など原材料も不足し、生産は順調に行われていない。

1990年代前半、非常に優秀な経済官僚で金日成主席の信任が厚かった金達玄(キム・ダリョン)副総理が、工場設備の改善で生産性を高めようとしたが、金正日総書記の不興を買い、失脚し、自殺に追い込まれた。金正恩政権に入ってからも生産量を倍増させる計画が立てられたが、うまくいっていないようだ。