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北朝鮮で3月2日は植樹節、つまりみどりの日だ。当局は3月と4月を山林造成月間と定め、全国的に植樹運動を行っている。

金正恩党委員長は2012年4月27日、党と内閣の幹部に対して「国土管理事業において革命的転換を引き起こそう」という演説を行い、10年以内に山林を元に戻すと宣言した。しかし、たとえ今後、数十年にわたり木を植え続けたとしても、いまのやり方のままでは北朝鮮の山々に緑が戻る見通しは暗い。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋が米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)に語ったところによると、「全党、全軍、全人民が総動員」のスローガンのもと、2日の植樹節には多くの人が動員され、植樹を行った。各機関、企業所には従業員の数に応じて木を植える面積が割り当てられた。茂山(ムサン)郡の当局は、住民から1人あたり2000北朝鮮ウォン(約26円)の苗木代を徴収した。

しかし、掛け声ばかりで山に緑が戻るどころか、むしろさらに荒れつつある。

咸鏡北道の別の情報筋によると、5人が1組になり200本のカラマツの苗木を渡され、その日のうちに植えるように命じられる。しかし、地面はまだ凍ったままであり植えるのが非常に困難で、水の確保も難しい。そこで、苗木は植えるフリをするだけで放置。枯れてしまうことは言うまでもない。

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カラマツの植樹に適した時期は、北朝鮮より暖かい韓国で3月だ。3月の気温平年値はソウル5.7度、両江道(リャンガンド)の恵山(ヘサン)氷点下3.2度(日本の気象庁のデータ)。つまり、1ヶ月も早い時期に植えさせられるわけだ。

それにしても、なぜまだ寒い3月の初めに木を植えるのだろうか。それは、故金日成主席一家の次のようなエピソードと関係している。

北朝鮮の植樹節は元々4月6日だった。金日成氏が1947年のこの日に、平壌郊外にある紋繍峰(ムンスボン)に木を植えるように指示を出したことに由来する。

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しかし、金正日政権時代の1999年に、突然3月2日に変えられる。1946年のこの日に、金日成氏は、金正淑(キム・ジョンスク)夫人とまだ幼子だった金正日氏を連れて平壌の牡丹峰(モランボン)に登り、「山と野に木を植えることについて」という指示を出したことに由来する。

つまり、金正日氏は自分が登場する方のエピソードを持ち出し、自らの権威付けをするために、気候条件を全く無視して植樹節を1ヶ月も早めたのだ。

一方、植樹節が4月だった時代に、北朝鮮の山に木がきちんと植えられていたかというとそうでもなかった。平安南道(ピョンアンナムド)出身で、2000年に脱北し韓国に来たイ・ジュイル氏は、90年代の植樹節を振り返り次のように述べている。

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「植樹節には小中学生も大々的に動員された。金日成主席は『少年団林』、『青年林』などに、ゴヨウマツ、クルミなど油の取れる木を植えよと指示を出した」

「険しい山に入り1人あたり80本から100本の苗木を植えろと言われるのだが、教師からは『今日中に終えよ』と言われた。到底無理な注文だった。そこで、植えたフリをした。いちいち監視されるわけではないので、苗木を放置して、植えたと報告すれば問題ない。当然、苗木は枯れてしまった。そして、翌年も翌々年も同じことを繰り返した」

北朝鮮の相次ぐ洪水被害は、山の木が切られて保水力を失った山の土壌が崩れることが原因だ。それを防ぐためには、山に木を植えなければならないことは、北朝鮮の人々もわかってはいるだろう。

しかし、動員されてイヤイヤ行う植樹に熱心に取り組む人はほとんどいないだろう。そんな木に愛着がわくわけがない。こうして、北朝鮮の山は無残な姿を晒し続けるのだ。