北朝鮮で発行されている芸術雑誌「朝鮮の芸術」に「不良的な踊りを含めた退廃的な踊りの浸透を徹底的に阻止しなければならない」という主張が掲載された。

ここでいう「不良的な踊り」「退廃的な踊り」とは韓国や資本主義国家のダンスのことだ。

同誌は、金正日総書記が1990年11月に発表した「舞踊芸術論」を紹介しながら「反動的な舞踊芸術の潮流の浸透を阻むことは、社会主義的舞踊芸術を健全に発展させるための重要な方法の一つ」と強調した。

つまり、中国経由で北朝鮮国内に流入する「ダンス」を警戒していると解釈される。

北朝鮮では80年代後半から「ダンス」が広まった。社会主義圏の崩壊と改革開放の影響が北朝鮮にも及んだからだ。海外に留学していた学生達が90年前後に大挙帰国し「ディスコ」が大流行した。

とりわけ89年に開催された「第13回世界青年学生祝典」の前後、北朝鮮の大都市でディスコは10代から20代初めの若者の間で爆発的な人気を呼んだ。当時の10代の青少年たちは、ディスコを自分たちなりにアレンジして「北朝鮮式ダンス」まで創作して流行らせた。

彼らは、太陽節(4月15日金日成氏の誕生日)や祝日に、大都市の公園などにテープレコーダーを持ちこみ、数十人から数百人で集まって酒を飲み、興に入れば一緒に「ディスコ風ダンス」を踊って楽しんだ。

当時、軍隊に入隊する時の歓送会でも「ディスコ風ダンス」は登場した。学校の友達や家族、知人が駅の広場に集まって、テープレコーダーが鳴らす音楽に合わせて一晩中踊ることもあった。

興味深いのは、この時に「K-POP(韓国歌謡)」まで登場した。キム・ポムリョンの「風、風、風」や「あなたと一緒に」「気だてがよくなければ」などが流れた。

若者たちが「北朝鮮式ダンス」を踊る時の人気ナンバーだった。彼らは、こうした歌が「K-POP」と知らずに、北朝鮮の対南放送で流れる音楽と軽く思っていた。

北朝鮮でも90年代初頭までは、若者たちが比較的自由に音楽を聞いてダンスもできたのだ。

しかし、89年に中国で起きた「天安門事件」やルーマニアの社会主義体制が崩壊しニコライ・チャウセスクが死刑される事件を通じて、朝鮮政権は「自由主義」の浸透を徹底的に取り締まる。

さらに、90年代半ばからはじまった食糧難による「苦難の行軍」の時期には、食糧問題が生活の最優先となり「踊る気力」さえ失う。

その後、大量の脱北者が発生し、中国との貿易が盛んになるにつれ、韓国をはじめとする外部世界の情報が北朝鮮国内に入りはじめると、再度「ダンスブーム」が起こる。もちろん、北朝鮮政府はこういった「退廃的文化」を遮断するために住民の思想教育などありとあらゆる手を使っている。

しかし政府の規制もなんのその。北朝鮮の現代っ子たちは友人とK-POPのミュージックビデオを見て楽しんでいる。そればかりか仲間内ではこそっとポルノビデオまで見ているのだ。

一方、平壌の特権階級の子供たちは、友人の誕生日には食堂貸し切りでパーティーを開き、一晩中踊りながら遊ぶ。平壌郊外の地域でも、若者達が夕方になって踊っていれば「監視隊」が取り締まって回るという。

北朝鮮の人々も韓国と同じく「歌と踊り」が大好きだ。金正日体制が体制維持のためにいくら外部世界の情報を統制しようと、人間が持つ「自由への渇望」を抑えるのは限界があるのだ。