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「私が創作活動を始めた70~80年代は、北朝鮮では経済的な波動があまりひどくありませんでした。待遇も悪くなく、生きて行くことが大変ではありませんでした。けれども問題は、『自由』がなかったということです。芸術家として基本的に創作の自由が全く保障されないということは、非常に大きな苦痛です」

平壌で美術大学を卒業して、人民武力部の現役創作家や大学教員(教授)として活動した脱北画家のカン・ジンミョン(57)画伯が、人生初の個展を開いて注目を集めている。

1日から8日まで、ソウル仁寺洞の「ソウル美術館」で開かれている今回の展示は、これまでのカン氏の創作活動に注目した美術館側が、観覧料などを後援した企画招待展の形で開かれた。

咸鏡北道茂山出身のカン氏は、1999年に北朝鮮を脱出し、2008年に韓国に入国した。長期間に渡る海外での亡命生活のあげく、「自由」を求めて韓国にやって来たカン画伯に会うため、デイリーNKが、展示会が開かれている美術館を訪ねた。

今回の展示会の主題は、「夢に描いた自由を求めて」だ。その理由についてカン画伯は次のように語った。「人間以下の生活、つまり人権が剥奪された世界から出て来ました。私は自由を本当に追い求めていましたが、その自由を手にするまでの道のりは険しいものでした。2時間で来ることができる距離を、10年という時間をかけて来ました。その過程で、亡くなった人もたくさん見ました。思い出したら胸がとても痛みます」

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カン画伯のこうした考えは、彼の作品にもよく現われている。特に、両眼をむいた虎が描かれている「山神霊」(油彩)という作品は、カン画伯が北朝鮮を脱出した後、白頭山の山麓で虎にでくわし、背筋が凍った記憶を思い起こしながらキャンバスに描いたものである。また、「自由の波」(油絵)という作品は、「自由意志」をどれだけ切望していたのかが感じられ、見る人の胸を熱くする。

展示会の作品図緑には、「自由の波」という作品の写真の横に次のような詩が掲載されている。

「ザザー!/ 岩盤を割って山岳のような波が/ 分水嶺を成す/ 蒼空に立ち上る銀の玉、金の玉/ 大洋に白く振り撒かれ、とうとうと押し寄せる/ 死を覚悟したナポレオンの兵士たちはひたすらに/ (中間を省略)/ 閉鎖された空間で息苦しく呼吸するだけだった私の胸に/ 数十年間閉ざされていた鉄門を壊して/ 悪夢の根源を引き抜き駆けて行く/ 怒涛のように押し寄せるその波が/ 自由の大洋に心を浴びせて/ 思いきり行って見ろと呼ぶ/ 自由の波が」 

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カン画伯は芸術家にとって「自由」がどれだけ貴重であるかということを、78年に拉致されて86年に北朝鮮を脱出した、申相玉監督の例をあげながら説明した。衰ト督は8年2ヶ月の間、北朝鮮に留まって7本の映画を直接演出して13編の作品の製作を指導したため、北朝鮮でも広く知られている。

「金正日は衰ト督に、大規模な『新フィルム映画撮影所』を作ってあげて、韓国では想像もできない人的、物的支援も惜しみませんでした。それなのに衰ト督は、奥さんの崔銀喜さんと一緒に北朝鮮を脱出しました。なぜでしょうか。結局は、自由がなかったからです」

カン画伯が韓国に来て、韓国の美術を見て初めて感じたこともやはり、創作の自由を思いきり享受することができるという感動だった。

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韓国の芸術家たちは多くのジャンルを開拓して、自分自身の哲学的主観に基づき、思い通りに主題を選択して作品を完成することができるということに、大きな満足感を感じたという。それこそが、カン画伯が命をかけてこの自由の地にやって来た理由でもある。

だが、韓国の一部の中堅作家たちが、「北朝鮮の絵は見てもしょうがない」と言うことに対しては、言いたいことが沢山あるようだった。

「北朝鮮で私たちに初めて美術を教えてくれた人たちは、南の出身の作家たちです。南と北の美術界の根は一つです。あまり、色眼鏡をかけた見方をしないでいただけたらと思います」

解放後、自由を志向した北朝鮮出身の美術家たちは38線を越えて韓国に脱出し、韓国で北朝鮮の社会主義体制を支持した美術家は逆に越北を選んだ。当時、画家のキム・ジュギョンや彫刻家のチョ・ギュボン、キム・ジョンスらが越北して、平壌美術大学の前身である平壌美術専門学校を建てた。

カン画伯は美術大学を卒業した後、人民武力部の創作団に所属して、主に金日成・金正日父子の肖像画や体制宣伝用の絵を描いてきた。北朝鮮で金父子の肖像画を描くことは、画家にとって大きな光栄だったという。しかし、その光栄の裏では笑えないハプニングがたびたび起きたとカン画伯は話した。

「金日成や金正日の肖像画は写真を見て描きます。けれども、夢中になって描いている時に写真に絵の具がたれてしまったり、置いた写真をうっかり踏んでしまうことがあります。問題はこうした失敗を誰にも見られなければ大丈夫なのですが、横から誰かが見ていたらすぐに批判されて、管理所に入れられることが多いという点です」

このように、強制されて金父子の絵を描かなくてもよい自由の地に立ってはいるが、創作活動の支障になっているものがある。肝臓癌だ。カン画伯は肝臓癌を宣告されて、しばらく前に癌細胞が肺に転移したことも分かった。

抗癌剤の治療を受けながらも、個展のために昼夜創作活動に専念してきたカン画伯の顔も、やせ細っているようだった。カン画伯は「統一するまで渾身の力を込めて創作活動に専念したいが、体がついてこない」と打ち明けた。

カン画伯は「死ぬことは怖くありません。死ぬ瞬間まで絵を描きます。私に残っている情熱を全て注ぎたい」と語った。「私の絵を通じて、北朝鮮の現実がもっと知られて、全世界の国民が北朝鮮の現実を知って、北の人たちに対する愛情と関心が高まるまで絵を描きます」と、カン画伯は自身の信念を明らかにした。