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1980年代の主体思想派運動圏の核心人物だった‘鋼鉄’金永煥時代精神編集委員が、自身の‘転向’の運動史を打ち明けた。

金編集委員は‘鋼鉄書信’として知られた文件と書籍を通じて、主体思想と民族解放(NL)路線を、学生運動の主流に成長させた人物だ。だが彼は1991年5月に、潜水艇に乗って北朝鮮に密入国し、金日成に会った後、北朝鮮の民主化活動家に転身した。

金委員は26日午前、21世紀国家発展研究院(NDI・理事長パク・クァンヨン)が主催した招請講演で、‘10万主体思想派のゴッド・ファーザー’が北朝鮮の民主化運動に身を投じるようになるまでの過程をたんたんと語った。

80年代の運動圏にとって、彼は神話のような存在だった。鋼鉄という人が本当に存在するのか、1人ではなく複数の人だという奄ワで流れるほどだった。

金委員は自分が大学生街に民族解放運動論を初めて伝えた時代を思い浮かべながら、“私も驚いたほど、早く拡散した。ソウル大はわずか2、3ヶ月で(民族解放-NL系列が)学生運動を掌握し、8~10ヶ月で全国の学生運動を掌握した”と語った。

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“当時、私を捕まえるために活動した警察が400人ほどいた。故郷にある祖母の墓を見張ることはもちろん、末の叔母が賃借ししてくれた家を夜明けにだしぬけに襲撃したりした”

捕まえるために警察が後輩の仮面をかぶって現われるという、コメディーのような状況まで演出されたという。

金委員は安全企画部に検挙された後の、‘47日間の拷問’を思い浮かべた。“1月9日は私の人生で最も嬉しい日だが、それは私が刑務所に入った日だ。刑務所に行くことになったが、安全企画部から出たという事実が、それほど嬉しいことはなかった”と言うと笑いが噴き出した。

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金委員は“北朝鮮と連携する行為を阻むために、公安当局の役割が必要という側面があったが、当時の拷問はむしろ、革命の意志を押し堅めるという副作用を生んだ”と語った。拷問も信念をくじくことができなかったということだ。

だが、彼の信念をくじいたのは投獄と拷問ではなく、‘北朝鮮の現実’ そのものだったという。

金委員は刑務所から出た後も、地下党員の民革党の責任者として活動し、91年に北朝鮮に密入国した。

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金委員は“北朝鮮経済が貧しいという話はかなり多く知られており、どの程度か予想していたが、他の側面から到底受け入れることができないことがあった”と、訪朝
した当時を回顧した。

特に、“北朝鮮の学者たちと主体思想について討論した時、‘首領が文化大革命のような過ちを犯そうとしたらどうするのか’という質問を繰り返したが、彼らは全く見当違いの答えだけ並べて、答えなかった”と言い、“世の中で主体思想を研究する自由のない所が、まさに北朝鮮という事実を理解した”と述べた。

また、“北朝鮮で金日成に2回会ったが、自分の名前で発表した主体思想もきちんと分かっていなかった”と述べ、“むしろ彼が主体思想について発表した本を一度でも精読したのか疑わしかった”と回想した。

北朝鮮との連携を強化するために敢行した訪朝が、むしろ北朝鮮の真実を悟らせることになった。90年代半ばに金委員は、‘北朝鮮の首領論は詐旧