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黄長ヨプ北朝鮮民主化同盟委員長が、広まっている金正日の健康悪化説に対して、“最近、金正日の心臓がよくないという話が出ているが、(彼は)知られているように酒をあまり飲まず、体も丈夫だった”と語った。

だが、金日成が心臓病で“(心臓が悪くなった)可能性もある”と付け加えた。

黄氏は26日、ソウル某所で行った大学生との懇談会で、金正日が普段健康管理に随分気を使っていたと語った。性格についても、“金正日は頭の回転が速い。目標を決めればそれ一つだけに邁進する方”と説明した。

だが、自分が関心をもたない分野には我慢が続かなかったと述べ、“ある日、経済の常識を伝えようと向かい合って席についたら、金正日が‘あー、もうやめましょう。弁証法は難しくて学べない’と、席を蹴飛ばして立ち上がった”というエピソードを紹介した。

黄氏はまた、金正日は幼い頃から政治的な感覚がとてもすぐれていたと述べた。

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“10代の時から既に完全に政治的な思考をした”と言い、“1959年に金正日と一緒にモスクワを訪問した時、‘叔父さんのようにモスクワ総合大学に通うのはどうか’と聞いたら、‘政治は父の下で学ばなければならない’と答えた”と語った。

また、“私はモスクワの技術工場を見学して、難しい用語が分からなくて頭が痛かったが、金正日はとても熱心に聞いていた”と述べ、“金正日は父が関心を向けている問題だから、帰って報告をしなければならないと言った”と伝えた。

黄氏は更に、“金正日はまだ50歳にもならないきびきびとした父に靴を直接はかせたほど、父親に接する考えは非凡だった”と評価した。

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それに比べて金正日と後継者争いをした金日成の弟、金ヨンジュは正直な方だったと説明した。

黄氏は“1972年に‘主体思想’に関する哲学の本を書いていた時だったが、金ヨンジュが来て‘これは少しマルクス主義と違う’と首をかしげた”と述べ、“その後金正日が来て、‘私たちの叔父が大変なことになりました。首領様の文献に反対している’と言った”と当時を振り返った。

また黄氏は“1985年からは金日成と金正日の立場が転倒し始めて、金日成は顧問の役に止まった”と説明し、“外国のお客さんたちが来る時だけ、権力を掌握したかのような姿を見せた”と付け加えた。

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黄氏は金正日の妹、金キョンヒも性格が非常に強い方だったと明らかにした。

“キョンヒが張成沢と恋愛していた当時、私の部屋の戸をばっと開けて、‘どうしてしきりに干渉するのですか。恋愛することは自由ではないですか’と問い詰めた”と述べ、“金正日も‘キョンヒは恐ろしくて悪辣だ’と言った”と伝えた。