「深化組事件」は2段階に分けて行われた。第1段階は1996年から1998年まで、第2段階は1998年から2000年までだ。
ファン・ユンモ社会安全参謀長、キム・ウンチョル住民副部長、リ・チョル担当指導員、アン・ヨングク総務部部長など社会安全部の幹部15人は、スパイを掃討するという名目で住民文書(成分や賞罰などの記録)に空白がある者を調査し始めた。
死んだ人も例外ではなかった。平壌の愛国烈士陵に埋葬されたキム・マングム中央農業委員会委員長は、住民文書の調査の過程と証言者によりスパイ扱いされた。遺体は掘り起こされ、頭に銃弾が撃ち込まれた。遺体が愛国烈士陵に戻されたのは、後に深化組のでっち上げが判明してからのことだ。
「深化組事件」は高級幹部の家族も震え上がらせた。
パク氏は「その家の祖父の住民登録文件に空白があるという理由でだけで連行されて、孫のような歳の安全員に拷問されて、偽りの自白をさせられた。家族は耀徳の収容所送りになった。まさに生き地獄だった」と当時を振り返った。