また、平壌市のリョンソン区域に住む70歳以上の老人たちは、ことごとく西北青年団(朝鮮戦争時の反共団体)の元団員だという疑いをかけられ、拷問の末に嘘の自白をさせられて銃殺された。
これは深化組の初期に区域の社会安全部住民登録課の職員が、区域行政機関委員長の住民登録文献に委員長が元スパイだという記録があるのを見つけて通報したが、この記録が間違いだったことがわかり逆に処罰された。しかし、後に行政委員長は改めてスパイ容疑をかけられて銃殺された。これが発端となり地域の老人全員が疑われたのだ。
第1段階で処刑された人は3000人以上で、その家族や縁故者1万人以上が耀徳の収容所送りになった。あまりにも人数が多くて収容所の建物を建て増したほどだった。
金正日は「深化組事件」で功績を立てたチェ・ムンドクとユン・ゲス、チェ・ドクソンに「朝鮮民主主義人民共和国英雄称号」を与えた。
深化組にいた張成沢とチェ・ムンドクは、第2段階の調査対象にムン・ソンスル中央党本部党責任秘書とソ・ユンソク元平壌市党責任書記を陥れた。これは張成沢とチェ・ムンドクの個人的な恨みによるものだ。