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今年は北朝鮮でも、全社会階層を搖るがすメガトン級のニュースがぞくぞくと出た。

年初から軍や党の幹部を中心にキム・ジョンウン後継者内定説が広まり、各機関を中心に、これに関する講演と宣伝が集中的に続いた。

北朝鮮政府は3代世襲に対する準備作業として、キム・ジョンウンの偶像化事業も同時に推進した。だが7月以後、キム・ジョンウンに対する讃揚・宣伝作業の中断と再開が繰り返されており、いまだに北朝鮮内では後継問題が整理されていない。

一般の住民には1年の最後の月に突然通報された「貨幣改革」が最大のショッキングニュースだったはずである。専門家らは北朝鮮の今回の貨幤改革の目的は、住民によって自生的に形成された市場活動の弾圧と、国家統制経済への回帰だったと分析している。

だが、今まで市場を通じて生計を立ててきた住民たちが、政府のこうした措置に強く反発していて、今後も内部で大きな混乱が続くと思われる。

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北朝鮮はこれ以外にも、対外関係では上半期には国際社会を相手にした対決告}を作り、下半期に入ったら対話への転換を模索した。

今年初めて長距離ミサイル発射と2回目の核実験を敢行するなど、強硬一辺倒の政策を続けた北朝鮮だったが、国際社会の一致した制裁に直面することになった。北朝鮮はこうした危機から脱するために、今年修交60周年を迎えた中国との堅固な同盟を再確認して、6カ国協議への復帰を餌に、アメリカとの対話の再開に乗り出した。

? 金正日の三男キム・ジョンウン後継者説…偶像化事業を展開

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年初から金正日の三男、キム・ジョンウンが後継者に内定したといううわさが流れ始め、キム・ジョンウンの偶像化事業が始まった。金正日と高英姫の間に生まれたキム・ジョンウンは、外貌や性格が父親の金正日と似ていて、寵愛を受けていたという。

スイスに1年ほど留学したキム・ジョンウンは、平壌に戻って来てから金日成軍事総合大学を卒業して、現在国家機関(労働党, 国防委員会)で後継授業を受けていると把握されている。キム・ジョンウンの後継と関連した宣伝が今年2月から軍と党の幹部、教育機関を中心に始まり、金日成の誕生日である4月15日を控えて学生にもキム・ジョンウン後継を暗示する「歩み」という歌を集中的に広めた。

キム・ジョンウンの偶像化作業は7月に突然推進されなくなり、10月から軍部を中心に再開された。キム・ジョンウンの偶像化に関する政策が、この1年間でたびたび変更された理由は、キム・ジョンウン個人の権力の乱用や後継者に確定していないことなど様々な説が挙げられている。

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? 長距離ミサイルの発射

北朝鮮は4月5日に、咸鏡北道ファデ郡ムスタン里の試験場で、長距離ロケット「銀河2号」に、独自に開発した人工衛星「光明星2号」を搭載して発射したが、地球の軌道に乗せることには失敗した。

北朝鮮は今回のロケット発射は宇宙開発計画の一環だと主張したが、国際社会は「北朝鮮のすべての弾道ミサイル関連の活動」を禁止した、国連安保理の決議1718号に違反していると規定して、一斉に北朝鮮の行動を糾弾した。

その後、国連安全保障理事会は北朝鮮の長距離ロケット発射を批判して制裁を強化する内容の議長声明を発表した。北朝鮮はその後も光明星2号が軌道への進入に成功して、「金正日将軍の歌」を送出していると言い、今年1年間の科学技術分野における代表的な成果であると宣伝している。

? 第2次核実験

北朝鮮は2006年10月に最初の核実験を行い、今年5月25日にも咸鏡北道キルチュ郡プンゲ里で2回目の核実験を実施した。

アメリカ国家情報局(DNI)は今回の核実験の爆発力について、具体的な数値は提示せず、「数キロトン(kt)」とだけ発表した。1回目の核実験の爆発力が1キロトンにも及ばなかったことを考えても、爆発力の面で大きな進展があったことを伺わせるものだった。北朝鮮が核実験をした後、国連安全保障理事会は6月12日に北朝鮮の2回目の核実験を批判して懲戒するための、対北制裁決議案1874号を満場一致で通過させた。

その後、大量殺傷武器(WMD)など禁輸物資の船積みを疑われてきた北朝鮮の船舶、「カンナム号」が最初の入港地だったミャンマーに寄港できずに北朝鮮に戻り、タイでは北朝鮮の武器を積載した輸送機が抑留されるなど、国際社会が一丸となって対北制裁を強化した。

? 第12期最高人民会議代議員選挙と憲法改定

北朝鮮は韓国の国会議員である最高人民会議代議員選挙を3月8日に実施した。北朝鮮の憲法によれば、最高人民会議の代議員の任期は5年で、第11期代議員の任期は去年9月に終わることになっていたが、今回の選挙は金正日の健康問題などで5ヶ月程度延期された。

さらに北朝鮮は、4月に最高人民会議第12期第1回会議を開き、国防委員長を「最高指導者」と規定して、国防委員会の権限を大幅に強化する内容に憲法を改定した。

また「共産主義」という目標を志向することを放棄して、「先軍思想」が北朝鮮を導く核心イデオロギーになったという点もはっきりとなった。

? ‘強盛大国’建設のための150日-100日戦闘の開始

北朝鮮は、2012年に強盛大国にするという目標を果たすための努力動員運動の一環として、「150日戦闘」と「100日戦闘」を次々と展開した。

北朝鮮は過去にも対内外的困難に陥った時、経済的突破口を開くために住民の労働力を極度に集中させて、短期間で生産力の増大を達成する大衆革新運動を続けてきた。

北朝鮮政府は9月25日に「150日戦闘」を終え、この期間の生産計画は11%を超え、これにより工業の生産が前年同期と比べ1.2倍に成長したと結果を報告したが、原資材と電力不足のため、実際の生産量はこれに遥かに及ばないという。2012年に完工が予定されている大規模建設事業なども、「平壌10万世帯建設」事業を除き、遅々として進まない状態に陥っている。

北朝鮮は150日-100日戦闘が成功した今年を「強盛大国実現の基盤を作った年」と名付けて、大々的に宣伝している。

? 米女性記者抑留…クリントン元大統領の訪朝

北朝鮮は3月に中朝国境地域で取材していた、アメリカのカレントテレビの女性記者2人を「越境の容疑」で逮捕した。その後、平壌に連行された2人の女性記者は12年の労働教化刑を宣告されて、140日間北朝鮮に抑留された。

記者たちは8月に、釈放のために訪朝したクリントン元大統領と共にアメリカに戻ることができた。クリントン元大統領は訪朝した時に金正日と会い、北朝鮮の核問題などについても意見を交換した。

2人の女性記者は送還後、逮捕された時の経緯について、「当時、北朝鮮の領土に侵入する意図はなく、道を案内してくれた人がしつこく言って1分程度北朝鮮の土地を踏んだだけだった。すぐに中国側に戻ったが、北朝鮮の軍人が追って来て逮捕された」と明らかにした。記者たちは北朝鮮での抑留生活に関する手記を出版する計画だ。

? 北のサッカー代表チーム, 44年ぶりのワールドカップ本選進出

北朝鮮のサッカー代表チームは、1966年のイングランドワールドカップ以後44年ぶりに、ワールドカップ本選進出を果たした。北朝鮮は2010南ア共和国ワールドカップでブラジルやコートジボアール、ポルトガルなど強豪チームを含むG組に入り、ベスト16を競うことになる。

チョン・デセ、ホン・ヨンジョ、アン・ヨンハクら海外派選手の布陣と精神力、組織力は強みだが、守備一辺倒の戦術と国際舞台での経験不足は乗り越えなければならない課題であると指摘されている。

ワールドカップ本選を控えて、キム・ジョンフン北朝鮮代表チーム監督更迭説も出ているが、最近フース・ヒディンクロシア代賦ト督やフィリップ・トルシエFC琉球総監督など外国の監督が来るのではないかという推測も出ている。

? 北, 17年ぶりの貨幤改革断行

北朝鮮は 11月30日に、旧貨幤と新貨幤を100対1の割合で交換する貨幤改革措置を断行すると発表した。貨幤交換は12月1日から6日まで行われ、最大の交換比率は1家庭当り10万ウォンに制限された。

だが、これに対する住民の不満が爆発すると、金正日の指示による「配慮金」の名目で1人当り5万ウォンずつ追加で交換することができるようにし、残りの個人が保有しているお金は制限なしに銀行に貯金させた。

米や生活必需品などの国定価格はいまも公示されていないが、労働者と事務員に対する賃金は2002年の7・1経済管理改善措置発蕪鮪桙フ基準を適用して支給を始めた。北朝鮮はまた不動産管理法や物資消費基準法、総合設備輸入法など経済関連の法律を制定して、経済政策を整備するための後続措置を取っている。

? 中朝’蜜月’の強化…修交60周年

北朝鮮と中国は修交60周年を迎えた今年を「友好親善の年」に定めて、両国の堅固な同盟関係を確認した。

高位層官吏間の交流も頻繁に行われたが、9月に中国の戴竝相O交担当国務委員が胡錦涛主席の特使の資格で平壌に行き、10月には温家宝首相、11月には梁光烈国防部長が北朝鮮を訪問して両国間の親善関係を確認した。

北側でもチェ・テボク最高人民会議議長やキム・ヨンナム最高人民会議常任委員長が中国を訪問して、中朝修交60周年を記念した。特に温首相は訪朝当時、2億人民元相当の経済援助と鴨緑江の橋の建設、風力発電所建設費用の提供を約束して、北朝鮮に対する支援の意思を再確認した。

? ボズワース米特使の訪朝…オバマの親書を伝達

スティーブン・ボズワース対北政策特別代表が、アメリカのバラク・オバマ大統領の特使の資格で、12月8日から10日まで2泊 3日の予定で平壌を訪問した。アメリカ特使の訪朝は2002年10月のジェームズ・ケリー前米国務省次官補の訪朝後7年ぶりのことで、オバマ政府に入って初めて開かれる米朝両者対話だった。

ボズワース代表は訪朝期間中に、カン・ソクジュ第1副相やキム・ゲカン副相らと会談を開き、6カ国協議の再開や平和協定の問題などについて議論した。ボズワース代表は金正日に直接会わなかったが、オバマ大統領の親書を伝達して戻ってきた。

ボズワース代表は訪朝の結果に関する記者会見で、北朝鮮は6カ国協議への復帰の時期を明らかにしなかったが、米朝両国は9・19共同声明の履行と6カ国協議の再開の必要性については共通の理解が得られたと明らかにした。