連載・日本の対北朝鮮情報力を検証する/海上保安庁編(1)

2016年3月19日、安倍晋三首相が歴代総理大臣として初めて、海上保安官を養成する海上保安学校(京都府舞鶴市)の卒業式に出席し、「海保の役割と重要性は増していく」と訓示した。安倍首相の卒業式出席は、中国船による度重なる尖閣諸島への領海侵犯が背景にあり、出席自体が中国へのメッセージであると大きく報じられた。だが、ある海上保安官このニュースを見て、「安倍首相こそ対北情報戦で大きな誤りを犯した張本人だ」と表情を曇らせた。

日本では、防衛省情報本部が電波傍受や偵察衛星で北朝鮮の情報を収集し、外事警察や公安調査庁が朝鮮総連関係者や脱北者などから北朝鮮に関する情報を聞き出している。そして、これらの機関が集めた情報が内閣合同情報会議で随時報告され、共有される――ここまでは本連載でも触れてきたし、巷でも知られている話だ。

安倍首相の過ち

だが、ある海上保安官は、「あまり知られていないことだが、海保は情報コミュニティの中で大きな役割を果たしてきた」と語る。

「総理大臣に就任した直後だった安倍さんは、拉致被害者家族の顔色とメディアの反応をうかがって決定したらしいが、あれは大きな間違いだった」(前出・海上保安官)

ここで「あれ」と指摘されているのは、第1次安倍政権が発動した独自制裁措置だ。

北朝鮮は2006年7月、日本海に向けてノドン・ミサイルなど7発を発射したのに続けて、10月に初の核実験を強行。これを受けて日本政府は、万景峰92号を含むすべての北朝鮮船舶の入港禁止したのである。

「政治将校」と対峙

「なぜ間違いだったかと言えば、北朝鮮から日本にやってくる船は、日本にとって大切な“情報ソース”だったからだ。これを自分から断ち切って、価値ある情報が取れずに北朝鮮に振り回されているのが、日本の北朝鮮外交の現状だよ」(前出海上保安官)

「確かに外事警察や公調は凄いよ。彼らは情報のプロだ。だけど、連中が相手にしているのは朝鮮総連とか素性も定かでない脱北者だろ?

貴重な情報を持っている者もいるだろうが、朝鮮総連はいわば北朝鮮の出先機関であって、本国のことは何も知らされていない。脱北者は、カネのために平気でウソの情報を売り込んでくる。

だけど俺たち海保は、北朝鮮でも選ばれた朝鮮労働党員、それも政治将校を相手にして、北朝鮮の情報を取っていた。これをできるのは、海保だけだったんだ」(同)

2人のボス

この発言については、少し説明が必要だろう。

北朝鮮が海外に派遣する船舶には、船長と同等の権限を持つポリティカル・オフィサーが乗り込んでいる。朝鮮人民軍の部隊に指揮官と政治委員という2人のボスがいるように、船舶にも2人のボスが存在するのだ。

海上保安官が言う「政治将校」とは、このポリティカル・オフィサーを指し、船長以下船員の亡命防止や思想教育を主な任務とする。

ポリティカル・オフィサーは、海外で外国情報機関の工作を受ける立場でもあるから、当然、思想堅固な労働党員から選抜される。

外事警察には不可能

朝鮮総連の中には、北朝鮮で行われる長期講習で1年以上も思想教育を受けた核心的なメンバーもいるが、彼らは当の労働党から大して信頼もされてなければ、知り得る情報も少ない。

海上保安官が言うように、実際の労働党員と、それも継続的に接触して情報収集することは、外事警察や公安調査庁であっても、ほぼ不可能だといえる。

海保は、北朝鮮船舶が入港するたびに「サーチ」と呼ばれる立入検査を行い、船長やポリティカル・オフィサーと面談を重ねてきた。

このように人間関係を築く作業が、対象者を情報提供者(エージェント)に“転がす”ための前提となる。

ある男の人生

「北朝鮮は何を考えているのか?」それを正しく理解しているのは、日々、政治学習を行い、国家運営を担っている労働党員だけだ。

海保にとって唯一ともいうべき貴重な情報ソース、それも朝鮮労働党と直につながるパイプを政策判断で断ち切られた恨み節が、冒頭の言葉になって現れに違いない。

そして、海の“公安”を指向した海保の歩みは、ある男の人生と歩みを共にしていたのだ。(つづく)

(取材・文/ジャーナリスト 三城隆)
【連載】対北情報戦の内幕

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