北朝鮮の東北部を襲った未曾有の水害から3週間以上が経った今も、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の被災現場は平穏とは程遠い。それどころか、災害発生時に何ら対応できなかった当局に対する怒りが噴出する「事件」が発生し、現場で大きな噂になっている。やはりと言うべきか、過去の災害や大規模事故と同じく、今回も「人災」が隠れていたのである。

自らも被災地域に住むデイリーNKの取材協力者S氏によると、「事件」は今月20日、咸鏡北道の会寧(フェリョン)市で起きた。

水害で夫と娘を失った女性が、職場に出勤しないことをとがめた朝鮮労働党の宣伝扇動部幹部に向かって「あんた達は何もしてくれなかったのに、出勤しろだって?毎朝うるさく朝の動員に出てこいと触れ回っていた放送車が、水害が起きることを知らせでもしたのかい?そのせいでみんな無駄死にしたんだよ!」と激しく抗議した。

家族を助けに濁流へ…

女性は続けて「雨があれだけ降って、堤防が崩れたにもかかわらず、誰か知らせてくれたのかい?みんな家の中にじっとしていて死んだのよ!それともあんた達は『高い所』に住んでるから、私たちみたいな下々の人間がどうなったって関心も無いんだろう?」とまくしたてたという(実際に幹部たちは住宅密集地ではなく、丘の上などに暮らす場合が多い)。

この女性は、堤防が決壊した当日、体調の悪い娘の薬を買いに外出していて難を逃れたが、家にいた夫と娘は避難しようと家を出たところを、女性の目の前で濁流に飲まれ、そのまま行方不明になっている。S氏によると、今回の水害では川に流された家族を救おうと、なんら救護手段も持たないまま川に飛び込み、亡くなった住民が続出したとのことだ。

現在、抗議を行った女性は精神錯乱と診断され、地元の病院に入院しているという。公的な場所で労働党の施策をあからさまに批判する行為は、本来ならば罪に問われるところだ。

ところが今回は、会寧市の党委員会も大目に見ているという。現地ではこの女性の他にも、被災したことによるトラウマに悩まされる人々が多く、病院のベッドはすべて埋まっているとS氏は伝える。

抗議事件が起きてから、現地の幹部は慌てて自宅を被災者に開放したり、救援物資を配り始めたという。会寧市をはじめ、今回の主要被災地域である咸鏡北道の茂山(ムサン)郡や両江道(リャンガンド)の延社(ヨンサ)郡は、中国と隣接していることから、脱北者が多く、政府に対する忠誠度が低い地域だ。さしもの金正恩体制も、被災者の怒りの強さをあらためて思い知ると共に、この地域の民心の現状を知り寒気を覚えたのではないだろうか。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

    関連記事