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2002年6月の第2次延坪海戦の時、韓国海軍を攻撃して大きな被害を与えた北朝鮮の哨戒艇、ドゥンサンゴッ684号の艦砲長が、両江道恵山市ヨンボン洞のボンフン中学校出身のソ・ジュチョルという人物であることが分かった。

日韓ワールドカップで沸き立っていた時に、北朝鮮のSO-1級哨戒艇、ドゥンサンゴッ684号が韓国の艦艇、チャムスリ357号を攻撃して6人が戦死し、18人が負傷してチャムスリ357号は沈没した。

北朝鮮は交戦直後の2002年9月に、チャムスリ高速艇357号を撃沈した功労を評価して、ソ・ジュチョルに「共和国英雄称号」を授与し、故郷訪問と母校訪問など大々的な歓迎行事を組織したと、両江道出身の脱北者らが12日に伝えた。

2006年に両江道から脱北したチョ・ギョンチョル(仮名・43)氏はデイリーNKとの通話で、「チャムスリ357号を撃沈した北朝鮮の警備艇の艦砲長は、両江道恵山市のボンフン中学校を卒業して、1997年に海軍に入隊したソ・ジュチョルだ」と確認し、「西海交戦の後『共和国の英雄』の称号を授与されて軍官(将校)学校を出て、今はNLL周辺で海軍艦隊艦長として服務している」と伝えた。

2005年に両江道恵山市から脱北したキム・ジュンハク(仮名・37)氏も、「ソさんの家は恵山市ヨンボン2洞にあった」と言い、「彼の父親ははさみや刀などを製造する、恵山鉄製日用品工場の労働者で、母親は仕事に就いておらず、扶養家族として恵山のヨンボン山の畑で農業をしていて、酒場でも働いていたが、生活は苦しかった」と話した。

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両江道恵山市のヨンボン2洞は市の郊外にあり、恵山市でも比較的貧しい人たちが住んでいる所として知られている。

両江道出身の脱北者たちによれば、ソ・ジュチョルは苦難の行軍の時期である1997年に18歳で軍に入隊し、1999年に起きた第1次延坪海戦に艦砲手として参加した。第1次延坪海戦の時に「韓国傀儡軍の艦艇を撃沈した」功労を認められて、第2次延坪海戦で韓国の高速艇を攻撃した、北朝鮮の警備艇684号の艦砲長に昇進したという。

ソさんの功労で、恵山ボンフン中学校は恵山第1中学校と共に、「英雄学校」の称号を授与された。

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北朝鮮政府は延坪海戦の後、ソさんの故郷訪問行事を取り行うと同時に、ヨンボン洞にあった両親の家を建てなおし、英雄作りに力を注いだ。ソさんの母校であるボンフン中学校は、金正日から楽器や運動器具などを贈られた。2004年にはコンピューターも5台、特別に支給された。

当時ソさんは、恵山市の複数の中学校と大学を回って講演し、延坪海戦の勝利について、戦闘の話や武勳談を話したという。幹部の講演会にも出て、金正日から受けた配慮について話したこともあったという。

だが、彼の講演が延坪海戦の状況をかなり誇張した内容だったことも明らかになった。

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当時、恵山医学大学の学生の前で講演したソさんは、「10隻以上の敵の艦船が、正常な警備任務を遂行していた我々の艦艇を不意に奇襲して、南に連れて行こうとした」と言い、「敵は優勢を信じて、愚かな行動をとった」と主張したという。

さらに、「敵の弾丸が降りそそぐ中をかいくぐり、単独で突進して敵の艦艇をばらばらにして、周辺にいた別の敵艦にも致命的な打撃を加えた」と話し、「敵はみな脱出口を探しながら尾を巻いていたが、勇敢な我々人民軍の戦死たちは、降りそそぐ敵弾の中でも互いに同志の身をかばって、敵を集団で撃滅させた」と言ったそうだ。

脱北者たちによれば、北朝鮮は第2次延坪海戦の時に労働新聞などの出版報道物を通じて、「西海北方限界線が北朝鮮の海という事実は、南朝鮮の良心的な学者と大学生も認めている事実」という内容を大々的に宣伝した。

その例として、盧武鉉政府の時に学者たちが出した「NLL共同漁労区域と平和水域の設定に関する提案」をあげ、「彼ら(南側)は不法であり私たちと妥協しようとしている」という論理を使ったという。

北朝鮮は当時、韓国の某大学の某教授、某大学の某学生というふうに書き、NLLは「米帝が不法に占拠している海」という内容を宣伝するために必死のあがきを続けていた。

だが北朝鮮は、ソさんはこのように功労を立てたと言いながらも、テレビなどの報道では一切紹介せず、甚だしくは両江道の新聞である「両江日報」にも彼の功労に関する記事を載せなかったそうだ。

第2次延坪海戦当時、北朝鮮は韓国よりも多い30人以上の死傷者を出して、哨戒艇684号が半壊して退却した。

チョ・ギョンチョル氏は「北朝鮮はこのように残酷に負けた戦闘のことも勝利したと捏造して、参戦者たちを待偶してくれたが、大韓民国政府はこれまで西海海戦の犠牲者に対してずいぶん無関心だったようだ」と話し、「今回のNLL挑発事件をきっかけに、延坪海戦の参戦勇士たちを新たに評価して、優待措置を取らなければならない」と指摘した。