相模原市緑区の障碍(がい)者施設で起きた大量殺人事件。容疑者は、取り調べで「ヒトラーの思想が降りてきた」などと述べ、重度の障碍者だけを選んで襲うなど、優生思想が動機の根底にあったことが伺える。

優生思想とは「劣等な子孫が生み出され、社会、国家、民族に悪影響を及ぼすことを未然に抑制しよう」とする考え方だ。ナチス・ドイツはそれを人種政策に取り入れ、ユダヤ人、ポーランド人、ロマ、同性愛者、障碍者を強制収容し、虐殺した。

とんでもない結果をもたらしてようやくその危険性に気づいた世界は、優生思想を遠ざけるようになった。

「山奥の村」へ

しかし北朝鮮にはいまだに、優生思想に基づく、障碍者への差別的政策が残っている可能性がある。

「(障碍者を指して)あのような種が広がるのは良くない。1カ所に集めろ」

耳を疑うようなヘイトスピーチだが、金正恩党委員長の祖父に当たる金日成主席はかつて、このような指示を下したとする証言が、複数の脱北者から出ている。

金日成氏の発した言葉がどのようなものであったにせよ、北朝鮮では1960年代から、障碍者の強制移住が始まったとされる。

「全員処刑」も計画

その過程で、両江道(リャンガンド)金亨稷(キムヒョンジク)郡蓮下里(リョナリ)、咸鏡北道(ハムギョンブクト)鍾城(チョンソン)郡、咸鏡南道(ハムギョンナムド)栄光(ヨングァン)郡など、山奥に多くの障碍者村が作られた。

アメリカの保守系ニュースサイト「ワシントン・フリー・ビーコン」によると、北朝鮮当局は当初、障碍者の中でもとく小人症患者を文字通り「根絶やし」にすべく、「全員処刑」まで計画していたが、国際社会の批判を恐れて強制移住政策に変更したという。

障碍者の追放は平壌でも行われた。「障碍者が革命の首都平壌にいると、外国人に不快な印象を与えるから、追放せよ」という金正日氏の指示によるものだとされる。

その指示のせいで、平壌市平川(ピョンチョン)区域に住んでいた脱北者ムン・ジョンチョル(仮名)さんの家族は引き裂かれてしまった。

ムンさんの妹は、幼いころに患った小児マヒで、足に障碍を持っていた。周囲から心ない言葉を投げつけられることもあったが、家族は妹のことを誰よりもかわいがっていた。

ところが、ある出来事を境に状況は一変した。

1982年7月のある日のこと。父が暗い顔をして職場から帰ってきた。そして妹にこう告げた。「伯父の家に行ってもらわなくてはならなくなった」。

父は職場の朝鮮労働党書記から、こう言われたという。

「君の家に障碍を持った娘がいるだろう。党の方針により、彼女を地方に送るか、君たち一家全員が地方に行くかして欲しい」

「収容所」送りも

父親は「娘を外出させないから勘弁して欲しい」と頼み込んだが、「革命の首都である平壌に障碍者がいてはならないというのが党の方針だ。どうしようもない」と取り付く島もなかった。

命令に逆らえば、家族一家が平壌から追放されてしまう。抵抗を続ければ、政治犯収容所に送られるかもしれない。父は泣く泣く、妹を遠く離れた伯父の家に養子に出した。

しかし、妹は地方の環境に馴染めず、学校でケンカし、警察沙汰を起こした。それ以来、家に引きこもってしまった。

3年後。夏休みに平壌に戻ってきた妹は、頑として伯父の家には戻ろうとしなかった。そこで父は、同じ平壌市の楽浪(ランラン)区域に住んでいる母方の祖母と相談し、区域の労働党幹部に大金をワイロとして渡し、平壌居住を認めさせた。

断種手術を強制

しかし、それには条件が付いた。

妹を外出させてはならないというのだ。

北朝鮮の差別的な障碍者政策に対しては、米国務省の2016年の人権報告書が「身体、精神に障碍を持った人々は政治的に信じられないとして、平壌から追放、収容所に閉じ込め、強制的に断種手術を受けさせている」と指摘するなど、国際社会の批判が強まっている。

圧力に耐え切れなくなったのか、ここ数年で北朝鮮の政策に変化が見え始めた。

2012年のパラリンピック・ロンドン大会に選手団を出場させた。朝鮮中央テレビでは2015年に平壌に住む障碍者の暮らしを紹介する番組を2度に渡って放映している。ちなみに、番組には視覚、聴覚などの身体障碍者は登場するが、知的障碍者は登場していない。

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