国連軍は後退を余儀なくされ、平安南道地域の支配権は再び、共産側に移った。両親を殺されながらも難を逃れていた姜錫柱は好機とばかりに、兄・錫崇(ソクスン=党歴史研究所所長・故人)、三男・錫龍(ソクリョン=タイ駐在国連食糧農業機構職員)、末弟(氏名不詳)とともにナタや斧を手に治安隊員宅に乱入。両親の殺害犯たちを皆殺しにしてしまった。
戦時とは言え、本来なら許されない行為なのだが、この逸話を知る人々は皆、「英雄的行為」として称えていた。金正日は日ごろから、完全実力主義の姜錫柱を「男らしい性格だ」と評していたが、このエピソードを指してのことかも知れない。
その「男らしい」姜錫柱にも、弱点はあった。ずばり、女だ。
世話を焼く「女性」
姜錫柱の自宅はもともと、高麗ホテル近くの幹部用アパートにあったが、1997年に金正日が新たに建てさせた高級アパートに移った。