韓国での覚せい剤密造の背後に日本の暴力団があることを初めて赤裸々に暴いたのは、「プリキップンナム(根の深い樹)」という月刊誌の1980年6月号に掲載された、趙甲済のレポートだと言われる。
今では保守言論界の大御所となっている趙も、当時は反権力ジャーナリズムの旗手だった。メディアが軍事政権の検閲下にあった当時の韓国において、治安の機微に触れる問題に切り込むには、さぞや勇気を求められたことだろう。
彼のレポート「ついにこの地にもヒロポンが浸透する」から、一部を抜粋要約して紹介する。
旧日本軍の系譜
〈1968年4月、ソウル地方検察庁・麻薬取締班は、釜山○○製薬会社の代表・柳哲煥をふくむ5名をヒロポン密造の嫌疑で逮捕した。これが韓国で初めて起きたいわゆるヒロポン事件だった。