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それにもかかわらず、2012年にこの地域で集中的に餓死者が発生したのは、首都・平壌で金正恩氏の「指導者デビュー」を祝う“どんちゃん騒ぎ”を数カ月にわたり続けるため、黄海南道の食糧を、権力が根こそぎ徴発してしまったからだ。

言うまでもないが、正恩氏は今に至るも、このときの政治責任について総括していない。それどころか、核・ミサイルの暴走により国際社会からの強力な制裁を招き、国民は「苦難の行軍」の再現すら危惧する事態になっている。

しかし当面、金正恩体制がそういった実情に目を向ける気配はない。

今月初めに開かれた朝鮮労働党第7回大会で、正恩氏は国家と党の現代史を好きなように解釈した。「苦難の行軍」については、その原因は内政にではなく、外国からの圧迫にあったとしている。さらにはそれに耐え抜くことが、国内の団結を強化するために不可避であったとも述べた。

これに対し、正恩氏の無慈悲な「粛清政治」を恐れる幹部らは一言も発することができず、よってこれが、党と国家の「正史」として固定されてしまった。