韓国の複数メディアは1日、中朝国境地帯で長年にわたり脱北者を支援してきた中国人牧師が殺害されたと一斉に報じた。北朝鮮当局が関与した疑いが強くもたれ、韓国で大きな注目を集めている。

事件現場の対岸、北朝鮮の恵山市
事件現場の対岸、北朝鮮の恵山市

殺害されたのは、吉林省長白県に住む中国朝鮮族のハン・チュンリョル牧師(49)。1993年から20年以上にわたり、鴨緑江をはさみ北朝鮮と向き合う同地の「長白教会」を率いてきた人物だ。

首を切り裂かれ

韓国紙の報道をまとめると、ハン牧師は4月30日午後2時頃、長白県内の知人に会いに出かけた後に連絡が途絶え、関係者が中国公安当局に通報するも同日午後8時ころ、郊外の山中で遺体となって発見された。

首には刃物による傷があり、死因は頸動脈破裂によるものと同教会の関係者は「国民日報」に明かしている。

長白県の対岸は北朝鮮・両江道(リャンガンド)の道庁所在地がある恵山(ヘサン)市。両地域を隔てる鴨緑江の川幅は狭い所では数メートルに過ぎず、密輸や脱北の中心地となっている。

同地で長い歴史を持つ長白教会は、1990年代の北朝鮮の経済危機「苦難の行軍」の時から多くの脱北者、そして行き場のないコチェビ(浮浪児)たちに一夜の暖を提供してきたことで知られる。同教会の信徒は500人を超えるとされる。

米国から活動費

一方で、ハン牧師をはじめ教会側は、北朝鮮内部への宣教にも熱心だったとされる。詳報を伝える「国民日報」によると、月末に教会に納められる献金には、北朝鮮の紙幣も混ざっていたという。

また、米国のクリスチャン団体から活動費を受け取り、北朝鮮への布教を行っていたとの証言も同紙は伝えている。

教会の建立や宗教行事を認めるなど、表向きでは宗教を禁止していない北朝鮮ではあるが、その実は、金氏一族の唯一独裁に対抗する思想的・組織的基盤となり得るキリスト教の伝播を恐れており、布教には厳罰で臨んでいる。韓国や米国の教会からの依頼で、北朝鮮国内で聖書を秘密裏に配布した人物が逮捕され、長期刑に処されたなどという例は枚挙に暇がない。

このため、布教活動の中心にいたハン牧師の殺害を、北朝鮮当局、それも悪名高い秘密警察である国家安全保衛部の仕業と見る向きが強い。

目的は地下教会摘発か

「東亜日報」によると、ハン牧師が現場近くで2人の男性と会っている姿が目撃されたという。

また、ハン牧師の所持品は、携帯電話を含めすべて持ち去られていることもあり、北朝鮮当局が、国内の「地下布教ネットワーク摘発」のために行った犯行との見方がある。

衝撃的な事件に、韓国内の北朝鮮専門家たちによる分析も盛んだ。

脱北者であり「東亜日報」のスター記者でもあるチュ・ソンハ氏は自身のフェイスブックで「中国で脱北者を支援する教会は数多くあるが、長白教会は特別な存在だ。数千人におよぶ脱北者や北朝鮮の住民がこの教会と関わりを持ち、機密も多いだろう。北朝鮮当局が最も目の敵にしていた可能性がある。北当局が『巨木を刈り取った』と見るべき」と見解を示した。

張り詰めた空気

一方、長年、北朝鮮民主化運動に関わってきた「北朝鮮民主化ネットワーク」のハン・ギホン代表はフェイスブックで「北朝鮮による犯行と決めつけてはならない」と慎重な姿勢を示し、中国の捜査当局による真相解明を待つべきと述べている。

現地の消息筋は本誌の取材に対し「長白県では中国人がおびき出して殺害したとの噂が流れているも、現在、特別厳戒態勢が敷かれるなどの動きは見られず、表向きは平穏だ」と現地の様子を語った。

また、事件については「公安当局は政治的な目的ではなく、単なる物盗りの可能性も含め捜査中だが、遺体が発見された地域は地元の人間も近寄らない無人地帯であり、やはり何かしらの理由でおびき出された可能性も捨てきれない。ただ、(犯人が北朝鮮から来たとして)明るい時間帯に国境を越えるのは容易ではない」との見解を示した。

中朝国境地帯ではここ最近、中国側の渡江(脱北)取締りが強化されている。北朝鮮との「最前線」で発生した事件である上、6日には北朝鮮で34年ぶりに開かれる朝鮮労働党第7回大会が控えており、国境には張り詰めた空気が漂っているという。

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