デソン貿易商社がつぶ貝を積んで、私が北朝鮮の船舶会社と契約できるように「委任状」を送ってきた。
可能ならば私が行かなくてはならないが、サインひとつするために平壌まで行く必要はないと判断した。アメリカから平壌まで7日もかかるので、デソン貿易に筆者の代わりに契約してほしいと通知した。
契約を締結したら運搬費用は朝鮮の全ての船舶を総轄する、日本の近洋海運(北朝鮮の船舶会社の日本の総代理)の船舶代理店を通じて、直接ドルで払うことにすると委任状に記載されていた。
返事のテレックスが来た。北朝鮮の船舶会社が契約を信じようとしないので委任状も必要なく、先生が平壌に来て直接対面して契約をしろとのことだった。冷凍保管倉庫でずっと経費ばかり出ているので、すぐに運搬船のことを解決しなくては人民に食べさせてしまうぞという、脅迫調の通知が来た。
数日間悩んだ。テレックスは次から次へと来る。何日までに平壌に到着しないと契約を破棄してしまうと言っている。一体、こんなことがあるのだろうか?平壌で、平壌にある船舶会社と契約したら簡単に終わるものを、アメリカから平壌まで行って契約をしなくてはならないなんて理解ができない。本当にあきれてしまう。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面船舶会社の責任指導員にテレックスを送った。連絡はない。あきらめなくてはいけないのか、それとも気分を害しても教育して目と耳を開けてやらないといけないのかと悩んだ。
他人より先に対北事業を始めた原罪(?)も感じて、開拓者の苦しい心情と試練として理解することにした。そして「これはまず私がやらなくてはならない!そうだ、我慢してやろう!」と思った。アメリカを出発してソウル、香港、北京経由で6日後に平壌に到着した。
デソン貿易商社の社長と船舶会社の担当者を高麗ホテルの会議室に呼んだ。案内員に頼んで、海外同胞援護委員会の参事(キム・ヨンス)も同席させた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面アメリカという国を、あなたの隣町だと思っているのか?
朝鮮の実情を聞いても、私たちの常識では理解することができないことなので、「この世にこんな貿易取引もあるのか?平壌まで来るのに順調に来て6日かかる。平壌を1回往復したら経費が1万ドル以上飛んでしまう。時間がすなわちお金だ。なぜか?こんなやり方で海外同胞を苦しめるのか?あなたたちは、アメリカという国は隣町だと思っているのか?」と言った。
その後、「アメリカは土を掘ればドルが出てくると思っているのか?私が平壌まで来なくても十分に解決することができることなのに、これからもこんなやり方で貿易取引をしなければならないのならば私はどうしようもないので、今回私が平壌に来たついでに、運搬船会社とも契約をしよう!それでこそ安心して、通信で互いに意見交換をしながら事業ができるではないか?」と叱りつつ問いただしてみた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面つらいのは私だけだったが、他に方法はない。机をひっくり返したい鬱憤がこみあげてきたが我慢した。考えれば考えるほど怒りがこみ上げてきて、不快でもう耐えられなかったが、これは私が選択した道だ。契約書にサインをするのに怒りが突き上げてきて、口が乾いて手がぶるぶる震えた。彼らも私の手が震えているのを目撃した。
案内員のキム・ヒョンチョルが私の手をつかんで、「先生、我慢してください。うまくいきます。ここのトンムがまだ何も知らないのです、なので理解してください」
少しなぐさめられた。
平壌まで6日もかかったのに、他の事業について相談するのも嫌になり、人にも会いたくなかったし、1時間でも早く平壌を離れたくて、飛行機が来る日まで待つのも嫌で、2泊3日だけ滞在して汽車で新義州まで行って、鴨緑江を渡って中国の丹東経由で北京まで、22時間国際列車の狭い寝台車両に乗って行った。
「この険しい道を行かないといけないのか?」
「そうだ、こうでもして外の世界を少しでも知らせることができるのならば、そして同族が目と耳を開くことができるのなら、そして私の姿を通して南側の同胞たちの暮らしの姿を分かってくれさえすれば、これは私の民族のためであり、私の国のための道ではないか?」と考えながら夜通しもがいて怒りを抑えた。
帰国の途で、ソウルで何日か休みながら多くのことを考えた。今回のことをきっかけに、北朝鮮をしばらくの間は忘れることにしようと。
アメリカに戻る途中で、日本の東京にある株式会社近洋海運のチョン・ヒウォン社長と、焼肉が美味しいという在日コリアンの食堂に行った。今後の事業のためにも、北朝鮮の全ての船舶の総代理店の責任者と挨拶をしておくのも良いかと思い、東京に行って会ったのだった。
北朝鮮の海産物が大韓民国に初めて入港
平壌でのことを愚痴った。北朝鮮の利益に合わないやり方を防ぐために、一翼を担ってほしいとお願いした。
冷凍つぶ貝の船籍の通知を受けて、ソウルの取引所(麗水第一冷凍株式会社)に連絡をし、ソウルに到着してすぐに水産庁に行った。北朝鮮産のつぶ貝が日本の新潟港を経由して釜山に来るのだが、法的手続きをどのようにするのか聞くためだった。(当時は北朝鮮から物品が韓国に来るということ自体が想像もできず、また法律もなかったので、行政的にどのようにすればよいのか経験もなく分からなかった)
水産庁は「輸入品だから商工部の輸入課に行って相談してみろ」と言った。ところが商工部では「水産物なので水産庁に行け」と言われ、互いが互いに押しつけ合って筆者は完全に疲れ果ててしまった。
明日には日本に着くので、すぐにコンテナーに移して釜山港に送らなくてはならないのだが大変なことになった。まず第一冷凍側との話し合いの結果、「輸出原資材輸入品」として手続きをして、ひとまず釜山港に持ってきてから解決してみようということになった。
紆余曲折を経て、歴史的に北朝鮮の東海岸で獲れたつぶ貝50トンが、実に13ヶ月かかって(1ヶ月に50トンを獲るというのが)日本の新潟県に運ばれてきた。
殻がついたまま冷凍された品なので、サイズが大きくて20フィートコンテナーに10トンずつ、5台のコンテナーに積載した。北朝鮮産の水産物が最初に釜山港に入港する瞬間だったので、新聞やテレビで騒ぐかとひそかに心配していた。当時は、北朝鮮から韓国に送られる品物は全く取引できない時代だった。それでも筆者は在米コリアンなので可能だった。
大韓民国の建国以来、北朝鮮の品物が公式に釜山港に来るのは初めてのことだったので、新聞やテレビがとても騒いで、品質の問題に是非を説いたら北朝鮮が激怒するだろう。となると、ことが順調に進むことなどありえない。
ならば韓国では販売せず、日本だけで販売するという契約条件を挙げて次の取引を問題にしよう。仕方なく当局(?)と議論して、内密に行うことにして釜山に入港した後、すぐに麗水港に運搬して第一冷凍の保税倉庫に入庫した。(続く)