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翌日から保税区域の冷凍倉庫で殻を取って500グラム、1キロずつと中身だけを取り出して急速冷凍をして包装をした。ここで作業するおばさんたちに言葉に気をつけるように言った。だが、すでに防げる問題ではなくなっていた。

箱に「朝鮮民主主義人民共和国」と印刷されているので、うわさが飛び回ることは避けられなかった。どれだけ言葉に気をつけるよう注意しても不可能だった。事務所の電話がひたすら鳴り続けた。マスコミが食いついた。幸いだったのは製品が良くて、マスコミが南北関係を考え合わせて肯定的にとらえて地方ニュースで簡単に終わらせたことだった。

幸い、日本に送った製品はたいした問題もなくそれなりに日本の市場で認められた。私は日本の市場で認められればそれでよいと判断して、平壌のデャ淘豪ヌに急いで長文のテレックスを送った。

キム・ホマン社長

お互いに初めて行ったつぶ貝事業だったので、1年半以上かかって50トンほど獲ったが、船員たちは精一杯よい製品作ってくれたので、日本の市場でそれなりによい評価を得ることができ、今後は大きいものと小さいものを別々に区別してさらに凍結をもう少ししっかりと行い、量もたくさん獲って別の船舶で本格的な操業をすることとしましょう。資源が豊富なのだと思われます。欲を出さずに1ヶ月に30トンずつ今後も獲ることにしてよいでしょう。私たちが一緒に心と力を合わせて、つぶ貝事業を必ず成功させることを約束しましょう!アメリカからキム・チャングより

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テレックスを送り1ヶ月以上待ったが、操業に対する中間報告がない。あせってきた。もう1度ファックスを送った。急いで平壌に来るよう連絡があった。何か事故でもあったのかと心配した。こちらの都合で来月行くと言ったが、とにかくすぐに来いと言ってくる。そして連絡が途絶えた。そのため、すぐに平壌に向かった。

日本の市場で評判が良かったので、価格を上げてくれとのことだ。その当時、国際価格が日本到着の価格で1トン当たり900ドルだったが、私は1000ドルを渡した。筆者が当時値段を多く払ったのは、同族でもあり初めてやる事業だったので、困難があっても船員たちの勇気を大切にして一生懸命がんばろうという考えからだった。

当時の原価よりもさらに支払った理由は十分に説明し、1年間価格変動はないようにして、この事業に対する可能性について互いに判断してみようと言った。またちゃんと獲れないのに、気まぐればかりなんだと怒った。通信でもいくらでも相談できるのに、まるで隣人を呼ぶかのように急いで来いとなぜ言うのか?アメリカは隣の家か?あきれ返って口がからからに渇いた。

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湾岸戦争が勃発してつぶ貝事業も台無しに

あの人たちは、1トン当たり1200ウォン要求してきた。この価格は、日本でもどれほど新鮮なつぶ貝といっても、根拠のない値段だった。私も本当に新鮮なつぶ貝だったら、1200ドル渡すと言った。自信があるのかと聞いてみた。ようやく事業に対する感が出てきたのに、根拠のない価格を提示するのならば、私にはこの事業はできないと言った。

あれこれと言い合って結論が出なく、神経戦を続けたあげく、再び交渉することになった。

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価格の交渉を6ヶ月保留したりと、綱渡りをしながらもひやひやしながら操業を続けた。船員たちも慣れてきたころ、やっと安心してきたのに、「湾岸戦争」が勃発して北朝鮮の石油難が深刻になって、船舶の運航が全面中断した。

この戦争で北朝鮮では石油と関連したもの全てが中断した。日曜日は、国家の特別許可がなければ車両の運行を禁止させられ、平壌の夜はもう町全体がひっそりとしていた。

私は常識として、北朝鮮の石油はロシアや中国からたくさん入ってきているので、たいした問題はないという程度にしか思っていなかったが、道は全てひっそりとしてしまって、漁船は石油を補給することが難しくなって完全に操業中止の状態だった。

長くかかってやっと1つの品目を開発し、来年から正常に操業できるだろうと期待していたが、結局つぶ貝事業も中断してしまった。つぶ貝のせいで、致命的な打撃だけ受けてしまった。

今でもいつでも条件さえ良ければ、北朝鮮の東海岸の金策でつぶ貝事業を必ずもう1度したいと思っている。(終)