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北朝鮮の朝鮮中央テレビが29日の夜のニュースで、「危機の南朝鮮、悲惨な民生」という番組を放送した。

10分程度に編集されたこの番組は、韓国で放送された映像の中から、脆弱階層の困難な生活が出ている場面だけを編集してまとめたものだったという。

北朝鮮が突然、「韓国の映像」まで編集して対南放送をした理由は何だろうか。これは何よりもまず、慢性的な経済難と国家の動員事業に嫌気がさしている北朝鮮の住民の、韓国に対するあこがれが広まることを遮断するための措置であると思われる。

特に注目されるのは、北朝鮮が韓国の空中波の放送の映像を編集して放送したという点だ。朝鮮中央テレビはこれまで、アナウンサーのナレーションを通じて韓国の消息を伝えてきたが、韓国に関する映像を住民に公開することはなかった。

去年のキャンドルデモや南大門の火事の消息も、数枚のスチール写真を報道しただけだった。

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北朝鮮政府がテレビのニュースで韓国や外国の現実が映っている映像を公開しないのは、北朝鮮の住民の「目の高さ」がそれだけ高まったからである。

北朝鮮の住民が韓国の住民の生活を直接知るようになったきっかけは、1980年の「光州民主化運動」だった。当時、北朝鮮の住民たちは北朝鮮のテレビが放映するデモ隊の姿を見て大きな衝撃を受けた。

北朝鮮のアナウンサーは「ぼろぼろの服を着て、飢えた南朝鮮の勤労大衆が、米帝と傀儡政権を追い出すために奮い立った」と声を高めたが、住民の目に映った光景は想像を絶するものだった。

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ぼろぼろの服を着て飢えているという南朝鮮の住民たちはみんな肉付きもよく、かけているめがねや腕時計、靴はどれも高級品だった。光州市内の高い建物やマンションも信じられない現実だった。

北朝鮮の住民の疑問は、87年の「6月抗争」がニュースで放映された時に更に高まった。ソウル市内の高層建築と整理された道路、デモ隊や機動隊の様子から目をはなすことができなかった。中には、「南朝鮮ではデモ隊に向かって銃を撃たないで、催涙弾というものを撃っているのだな」と考える人もいた。

89年の第13回世界青年学生祝典に参加した、全大協の代父Cム・スギョンの格好が北朝鮮の住民の意識を大きく変えたという事実も、脱北者たちの証言を通じて広く知られるようになった。当時、イム・スギョンが着ていた白いトレーニングのズボンが住民の間で流行りだしたので、北朝鮮政府が取り締まりに乗り出すというハプニングもあった。

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こうした問題が生じたため、北朝鮮政府はニュースの時間に、映像で韓国や外国の消息を伝える問題についてずいぶん頭を悩ませてきた。だが、1990年代初めまで北朝鮮のニュースは、主に韓国のデモの様子などの映像を放送して、自分たちにとって有利な国際問題も一部の住民に見せていた。

北朝鮮政府が韓国と外国の消息を動画で公開することを全面的に禁止させた事件は、1993年3月にニュースでマダガスカルの民主化の過程で起こったクーデターについて伝えた時からだった。

当時、北朝鮮はアフリカのモザンビークやアンゴラなどの国に農業技術の代表団や科学技術の代表団を派遣して、アフリカの国は農業もできない未開の地であるかのように描いていた。

だが、ニュースで放映されたマダガスカルの現実は、北朝鮮の住民を大きな混乱に陥れた。政府軍が戦車で疾走して、軍人が乗った高級快速艇が水を切る場面を見た住民たちは、「アフリカの国はあれだけ発展したのか?」と驚きを禁じえなかった。

特に、軍人たちが無線の送受信機で連絡している姿は、北朝鮮軍の兵士の間で大きな話題になった。北朝鮮軍は今でも大隊級以下の部隊に無線の送受信機を配ることができないありさまだ。

この放送の後、北朝鮮政府はニュースから韓国や外国の情報を映像で伝える番組を削除して、現在までそうした慣行が続いている。

それでは、朝鮮中央テレビが29日に放送した「危機の南朝鮮、悲惨な民生」という番組は、北朝鮮の住民にどのような影響を及ぼすのだろうか。

おそらくこうした番組は、「南朝鮮は人が暮らせない世界」という1次的なイメージを住民に与えると思われる。

実際に、2000年代に入って北朝鮮で韓国の映画やドラマが流行るようになり、北の住民の間で韓国に対する否定的なイメージも増した。やくざ映画などが流通して、韓国では昼間もやくざが刀三昧でやたらに暴力をはたらく世の中だと考える住民もいる。

だが、北朝鮮政府が「悲惨な南朝鮮の姿」を放送する回数が増えれば増えるほど、住民の意識は「第3の方向」に向かうことになるだろう。

「南朝鮮の映像」には、ごみ捨て場を探る浮浪児の姿は出てこない。飢えてレールに倒れこんで死んだ餓死者の姿も見られない。

結局、「南朝鮮の映像」は北朝鮮の住民の暗い記憶を刺激することになるだろう。今も住民たちの脳裏に残っている「苦難の行軍」の辛い記憶、今も、配給ももらえず建設現場に動員される自分たちの現実を直視するようになるだろう。