2007年3月20日から6月20日まで、南側の民族和合運動連合と北側の民族経済協力連合会により、“第3回開城青少年平和統一の森作り”という行事が開催されている。
3ヶ月間続く今回の行事は、毎週火、水、木曜日ごとに開かれる。当日行われる行事は、午前に植樹と昼食会、午後は開城工業団地視察である。
毎回の行事には200人余りが参加し、植樹は多くの韓国の人々に、北朝鮮との出会いの機会を提供している。参加者たちは植樹を通じて、統一の望みを強めると同時に、開城工業団地の訪問で、南北の経済協力の現場を直接見る機会を持つ。
記者は5月4日に開城を訪問した。北朝鮮について数えきれないほど語り、聞いてきたが、北朝鮮の領土を初めて踏むため、非常に興奮した。
一日だけの短い訪問だが、北朝鮮が閉鎖社会という点は容易に感じることができた。搬入禁止品目を置いて北に入る時から、デジタルカメラの写真を検閲されて出る瞬間まで、息苦しさを取り払うことができなかった。
もちろん、木を植えること自体は楽しくてやり甲裴がある日課だった。梨の木を植えた後、もらった名札に名前を書いて、統一後また来ることを期待して木にぶら下げた。そこにある木々には、すでにかなり多くの名札がついていた。
昼食も立派で、かなり多くの料理が並んだ。同じ民族であるため、食べ物にあまり違いはなかった。トルチュク酒のような特産物がおいしく、毛がにや冷麺がよかった。食事の後には横の販売店で、白頭山トルチュク酒と、ヒャンアム蜂蜜一瓶を20ドルで購入した。特産物は立派だった。
しかし、開城工業団地の向こうに見える住宅地の姿は物寂しかった。灰色のレンガ造りの家に、ガラス窓やきちんとした戸がない瓦屋根の家には、人の温もりを捜すことも困難だった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面同じ労働者でも韓国人と顔色が違う。よく待遇されている方だと言うが、人民軍と韓国の軍人との体格の差もひどかった。
北朝鮮の山からも、貧しさがうかがえる。薪と畑で禿山になった北朝鮮の山と野が、肉を切り出されたようで胸が痛む。
開城では人民の顔つき一つ、目つき一つから、鳥籠の中の鳥が思い浮かんだ。開城は開かれたが、開城の人たちは相変らず閉じこめられているようだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面開城を離れてソウルに来て、再び人々を見ると、皆一様に別の服を着ているということと、ビルの森の中で生きているということ、そして言いたいことを思いきり言いながら生きているということが大きな祝福であることを、今更ながら実感した。