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‘体育館で会えばよいのに、学校まで訪問することもなかったかな’

初めてチェ・ヒョンミ(17歳、ヨムガン高校)さんに会った時、こう感じた。

初の脱北女性ボクサー。大韓アマチュアボクシング連盟会長杯、女子ボクシング60キロ優勝。力強いストレートが主な武器だ。新聞の紙面に載るヒョンミさんの経歴は、記者に壮健な体つきの男の子らしい少女を連想させた。

ヒョンミさんは、4月23日に忠南ポリョンの大田室内体育館で開かれた、第5回連盟会長杯全国女子アマチュアボクシング大会で堂々と優勝を飾った。

学校の前で制服を着たヒョンミさんに初めて会った時、予想していたボクシング選手の姿は全くみかけられなかった。制服を着た学生たちに混じったヒョンミさんは、背が少し大きめの平凡な女子高生だった。

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その日はちょうど中間試験の最終日で、試験を終えて下校する学生の波の中に彼女を探した。

“ヒョンミさん、試験はよくできましたか?”

“いいえ、全部当てずっぽうに選択しました”

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ヒョンミさんはその日、友達の誕生日パーテイ≠ェあるから、インタビューを早くしてしまおうと言ってきた。友達と遊ぶのが大好きで、訓練スケジュールのために疲れても、寝る時間を減らしてでも遊びたいという。インタビューの始終明るく笑う姿は、間違いなく17歳の女子高生だ。

だが、こうした明るい顔の裏には、死線を越えた壮絶な記憶がかいま見えた。彼女のボクシングの実力は、実は70%が平壌式だと言っても過言ではない。

ヒョンミさんは、1990年に平壌で生まれた。国際貿易会社で働いていた父のお陰で、ヒョンミさんの家族は経済的には豊かに暮らしてきた。北朝鮮では何をして遊んだのかという質問に、“平壌にもロッテワールドみたいな所は多いです”と言いながら、幼い時に遊んだ思い出を話してくれた。

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幼い時の記憶にはいつも父がいたというヒョンミさんは、優しい父のお陰で、平壌にある遊園地にはほとんど全部行ったと語った。

かわいがられて育ったヒョンミさんがボクシングを始めたのは、4年制の人民学校を卒業して、高等中学校に入学した時だった。体育の時間にヒョンミさんの才狽?ゥ出した先生は、ヒョンミさんと両親にボクシングを勧めた。最初は反対した両親も、しつこい先生の説得と、ヒョンミさんの才狽?Oに、結局熱心な後援者に変わるようになる。

練習競技ではあったが、何歳も年上のお姉さん選手たちとの競技でも、ヒョンミさんは負けたことがなく、2001年9月から北朝鮮の体育会当局の管理の下で、2008年の北京オリンピック代浮?レ標に、訓練を受け始めた。ヒョンミさんはその時、本当に残酷な訓練を受けて、今の基本の技を身につけたと語った。

“北朝鮮の友達は、実は一人も思い出しません。当時は遊ぶ時間も全然なかったし、いつも訓練ばかりしていました”

ヒョンミさんはキム・チョルジュ師範大学で特別組に属して寮で暮らし、スパルタ式訓練で日々を過ごした。訓練は朝の6時から夜の8時まで続いた。朝の運動後に授業を受けて、午後にまた練習して夕飯を食べた後、また夜間練習をして眠る生活だった。そのため、人民学校の時に遊んだ思い出はあっても、高等中学校以降の特別な思い出はないと語った。

そうしたヒョンミさんの生活は、家族の脱北で一変する。一日でも自由に暮らそうとした父は、綿密に脱北を計画し、ついにヒョンミさんと家族を連れて2004年2月に平壌を発ち、中国に向かった。

ヒョンミさんの家族は合法的なパスポートを使用し、中国まで無事に来ることができた。中国で公式日程を終えた家族は北朝鮮に帰国する代わりに韓国に行くことを選択した。

命をかけた脱出が始まったのだ。中国の南端の雲南省まで移動した家族はベトナムの国境を越えた。父はそこから再びカンボジアを経てタイに向かい、ソウル行きの飛行機に乗ることができ、残りの家族は数ヶ月間ベトナムで生活した後、2004年7月に韓国に来ることができた。

今、ヒョンミさんは朝2時間、午後3時間程度練習をする。北朝鮮にいた時よりも、練習の量は少ない。しかし、相変らず練習は容易ではないという。

“一回まともに訓練を始めたら、数キロは簡単に落ちます。それくらい大変で、特別にメニューを調節しなくても、体重調節になります”

ヒョンミさんは大変だと言ったらもっと辛くなるから、大変ではないと言うそうだ。今回の優勝も容易なものではなかった。

“優勝はしたけれども、勝ったようでもありません。最初の相手は一緒に練習した先輩のお姉さんでしたが、判定勝ちで、はらはらするような勝ち方で、気まずかったです”

ヒョンミさんは試合が終わった後の一週間の休みを楽しんでいるところだった。

“今遊ばなければ恨みが残って、後でボクシングができません”と言いながら明るく笑った。一週間のスケジュールはすべて、約束で埋まっていたという。

映画が大好きで、お金さえ入れば映画館に行くという。両親は電話する度に、“お前、また映画館だろう?”と聞くそうだ。

今日の友達の誕生日が最後のお休みと言いながら、惜しむような表情で、“また訓練をはじめたら、チャンピオンに向かって走りますよ”と抱負を語った。

国内で1位、そしてアジアチャンピオン、更に世界チャンピオンになることが夢だ。これからの道は更に険しいと言う彼女の決心がたのもしかった。脱北少女初の世界チャンピオンという夢をつかんだら、それは脱北者だけでなく、北朝鮮の住民にとっても大きな贈り物になるだろう。その日を待ち望んでいる。