“魚が水から出て暮らすことができないように、軍隊は人民から離れて暮すことができない”
北朝鮮の住民たちが耳にたこができるほど聞いたこの言葉は、金日成が抗日パルチサン活動を経て体得した教訓を、人民軍に強調した言葉だ。軍隊が住民の愛と尊敬を受けてこそ、自らの役割を果たせるという意味だ。
北朝鮮は今年、新年の共同社説でも、”世の中にない私たちの軍民大団結を堅固にしなければならない。人民は援軍を、軍隊は援民をして、軍民の思想の一致、闘いの気風の一致を強化しなければならない”と述べた。
しかし今、軍隊は住民にとって、略奪と恐怖の対象であると同時に、生存のために食糧争奪戦を起こす競争相手にすぎない。食べ物を求めるために民家を掠奪して、通りで強制的に車を止めて乗り、これを拒否すれば暴力を振るうのが普通だ。
過去には子供たちの多くが軍隊に行っており、軍人を見れば子のように接する風土が強かった。実際、軍隊も各種の建設事業に動員されて大変な仕事を処理し、通りに出た軍人の行列も模範的だった。政府がいくら先軍政治を強調しても、このようになった軍隊を人民たちが好むはずがない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面政府が強調する軍民一致に対する言葉だけを聞いても、無惨な記憶が蘇る。18年前の軍の服務時代に一緒に入隊した同期生が、民家でハンマーで打たれて惨めに死んだ場面だ。
80年代から円滑な供給がなくなり、肉を食べる事ができなくなる
北朝鮮経済は、80年代には既に下り坂であった。これは住民の配給にそっくりそのまま現われた。この時から、ご飯はやっと食べられるというものになり、肉類や果物、キャンディーやお菓子のような加工食品はほとんど見られなくなった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面軍人も同様に、豚肉を含めた肉類の供給はなくなり、祝日以外には肉を見るのも大変だった。89年の12月中旬が過ぎ、正月を控えた中隊は、上級部隊に数日前から肉類の供給について提議した。しかし、返答はなかった。
数日後、大隊で肉類の供給がないので、各自解決しなさいという通達が出た。普段食べることもできないのに、祝日にまでトウモロコシご飯だけ食べるようになれば、軍人たちの士気は地に落ちる。中隊長は士官長(補給官)に何とかして1月1日に中隊の軍人に豚肉を供給しなさいと言い付けた。
二日間悩んだ士官長は、一日中姿を消し、夕方になって現われた。中隊で入隊1、2年にしかならない兵士らを全て集結させた。そして、 “今夜ここに集まった人員は直日兵(当直兵)が起こしたら静かに起きて庭先に集まりなさい”と指示した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面兵士らは何の事なのか分からなくて知りたがったが、就寝令によって床に就いた。夜明けの1時、当直兵に起こされ、庭先に出たら署l位集まっていた。士官長は私たちにすべきことを具体的に指示した。
私たちは部隊から1時間位歩いて出て、ある村に立ち入った。士官長は私たちに密かに行動するように注意を与えた。村から10m 程歩き、村の入口に面した民家の前で立ち止まった。住民たちに見付からないように、急いで逃げるためである。
士官長”何をしている” と催促
まず兵士らが家の垣根を越えた。すると、急に犬がほえた。士官長が準備した魚の固まりを投げてやったらすぐに静かになった。素早く家の裏側にある豚小屋に行った。士官長は家の動静を察した。兵士2人が先に豚小屋の中に入って行った。
中に入った兵士らがくぐり戸から豚を駆って豚が外に出たら、外にいる兵士がハンマーを豚の頭に打ち下ろすことになっていた。 そして筆者が豚を縛ることになった。
士官長は豚小屋に入る兵士らに、”豚を駆れ”と指示した。北朝鮮は冬の寒さが厳しく、豚小屋を全て布で覆ってしまって、小さなくぐり戸を通じてえさを与え、豚を外に出した。人が出入りしようとすると豚のように四足で這わなければならなかった。
豚小屋の中で士官長の信号を受けたが別に気配がなかった。何のことなのか、1分経つと、足音だけが聞こえて、別に反応はなく、士官場が”何をしている”と言いながら急き立てた。
数分が経ち、くぐり戸の内側から何かが出る姿が見えた。外で待機していた兵士が、ハンマーを豚が出るくぐり戸に向けて勢いよく振り下ろした。
瞬間、“アッ” という声とともに、出てきた物体がその場で倒れた。私たちは人の悲鳴がすると非常に驚いた。筆者は瞬間的に誤ったなと考え、肝が冷えた。豚を縛ろうとしていた繩を投げ捨てて倒れた物体に近付いた。
ハンマーで即死した同僚の上等兵
物体を確認した瞬間、悲鳴を抑えるために手で口をふさいだ。私の同期生、キム・ウクチョル上等兵(一兵)だった。頭に血が飛び散り、乱雑な顔を地に埋めている。仰向けにしたら、口も開いたままだった。同僚はその場で即死した。
ウクチョルが豚小屋に入って探したが、豚がみつからなかった。 暗くて見えず、そのまま黙ってくぐり戸から出ようとしたのだ。 豚は早いから騒ぎ立てないために、一発で倒そうとした兵士が、物体が出るやいなやハンマーを打ち下ろしたのだ。打ち下ろした兵士も階級は上等兵だった。
ウクチョルを殴った同僚の兵士はしきりに、”豚だと思いました。どうして人が…豚であると思いました”と、半ば気が動転していた。士官長は”うるさい、静かにしなさい”と言った。そして、”1分以内で整理して元通りにするように”と言った。
その日、豚がいなければならない袋の中には、私の同僚のウクチョルが入っていた。
士官長は中隊長にこの事実を報告して、私たち兵士らに絶対この事実を口に出さないように指示した。
中隊長は上級部隊に訓練の中で、民家の豚小屋で豚が飛び出した時に捕まえようとしたが、倒れて死亡したと報告した。豚を盗もうとしたが、仲間の手で死んだ兵士の死因は、あっという間に変わってしまった。
数日後、上級部隊では’人民の財産を保護しようとしたが死亡したキム・ウクチョル上等兵の軍民一致の模範を称えて、戦死栄誉勲章3級を授与する’と言う褒賞が下った。