• チ・ソンホ氏は、その父親が豆満江を超えて中国に逃亡しようしたとして逮捕された。2006年11月、じ・氏の父親は国家安全保衛部(SSD)担当官による拷問による怪我がもとで死亡した。生き続ける見込みがないことがわかったとき、国家安全保衛部担当官は荷車に父親を乗せて父親の家の前で放り出した。そこには面倒を見る者が誰もいなかったにもかかわらず。近所の者があとで死亡しているのを発見した。
  • 2011年8月、SSD担当官が咸鏡北道会寧市で、韓国の映画を観ていたとして証人の17歳の息子を逮捕した。苛酷な拷問を受けて左足首が砕け、顔面は腫れ上がり、身体が変形してしまった。国家安全保衛部は家族から多額の賄賂を受けてようやく解放した。解放されてまもなく、取調中の殴打に起因する脳内出血により死亡した。
  • 2001年、証人および他の同房収容者は咸鏡北道の国家安全保衛部取調所で、頭を壁に打付けられるなどの殴打を受けた。収容者仲間の一人は怪我がもとで死亡した。証言者は浅い墓穴を多数掘らされ、他の房の収容者たちも死にかけているのだと考えた。
  • 若い女性である証人は2004年、中国から強制退去させられ咸鏡北道穏城の国家安全保衛部取調拘置所に拘禁された。この女性は、その時点では判明していなかった子宮外妊娠による膣からの重度の出血および疼痛で苦しんだ。女性の訴えにもかかわらず、治療は受けられなかった。衛生ナプキンの使用も認められなかった。房内の糞便穴の悪臭で吐き気を催し、離れたところに座りたいと希望したときも殴られた。健康悪化が重篤になったとき、他の収容者たちがやっとのことで隠しておいた金を賄賂とすることで拘禁から逃れることができた。現地病院の医師たちは生存の見込みはないと言ったが、奇跡的に回復した。この証人は他の収容者が餓死および水系感染症により死亡してゆくのを見た。また、身体負荷が大きい動作中に心疾患のある男性が崩れ落じ、横たわって動かなくなったのも見た。その後、看守が引きずり出し、2度と姿を見なかった。
  • 穏城の同じ・拘置所でSSD担当官が高齢女性の尋問および拷問を行った。拷問と飢餓により、持病の肝疾患が悪化した。この女性の兄弟を中国から戻らせ国家安全保衛部に出頭させる目的で、女性の治療は拒否された。取調所で15日過ごした後、この女性は死亡した。

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