1993年2月、人民武力省で行われていた会議の途中、武装した軍人が会場になだれ込み、その場で70人の将校が逮捕・連行された。
粛清の嵐はその後5年にわたって続き、30人の将官、100人の佐官、70人の尉官が逮捕され銃殺刑に処された。家族も職を解かれ、平壌から追放された。銃殺や追放を免れた留学生も、軍を辞めざるを得なくなり、再就職後も閑職に追いやられた。
しかし、粛清の嵐はそれで収まったわけではない。金正日氏の指示に従って、保衛司令部は、フルンゼ軍事大学出身者とつながりのある者をあぶり出すために全国的な検閲(調査)に乗り出した。
両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)市では、1998年の1年間に、労働党、行政機関、司法機関の幹部200人以上が逮捕、銃殺された。両江道保安局のリ・ソンフン捜査処長は、カナヅチで殴られ処刑されたとも言われる。粛清の嵐はその後もしばらくは止まず、全国的にどれほどの幹部が粛清されたのか不明なままだ。