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北朝鮮政府による市場閉鎖措置が、事実上失敗した理由は何か。2005年以後続いた各種の市場統制措置が、成果をおさめることができなかった理由は何か。様々な理由が複合的に作用しているが、注目すべき点が3種類ある。

まず1つ目が、住民の生存方法と意識の変化だろう。北朝鮮の住民は、以前は政府が割り当てた農場や工場、企業所などに出て働いて、その対価として国家が配給する食糧や生活必需品をもらって暮らしていた。けれども、社会主義の国が没落して、エネルギーと原資材の供給が途絶えて、稼動が中断した工場や企業所がかなり増えた。

労働生産性が弱まって肥料が不足して、食糧の生産量も徐々に減少して、社会主義国の崩壊や北朝鮮の孤立した外交政策のため、経済の孤立が深まって外貨も不足し、減った分を補う食糧を海外から持ちこむのも難しくなった。その結果、北朝鮮政府は配給制を維持するために必要な物資を確保することができなくなった。住民たちは労働を提供して、国家は食糧と生活必需品を支給した配給制度が崩れたのだ。1990年代の食糧難は、配給制度が崩壊した結果と言える。

配給制度が崩壊した後、北朝鮮の住民たちは自分の力で暮らさなければならなくなった。北朝鮮の住民たちが自分で考えて生きようとした過程で作られた生存活動の基盤が市場だった。その後、住民の多くが市場で品物を売買して生活するようになった。住民たちにとっては市場が必須の生存空間になったのだ。

こうした生存方式の変化は、住民の意識も変えることになる。住民自身も知らないうちに、自分たちは党と首領の恩恵で暮らす存在ではなく、自分の力で生きる存在だと認識し始めた。こうした変化は、市場に対する住民の依存度を高めて、住民の市場依存度の上昇は、政府の市場閉鎖措置が施行された場合、住民の抵抗と反発が強まる可能性も高めた。

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こうした側面から考察すると、2009年1月に行われた市場の「事実上の閉鎖措置」が留保されたのは、市場に対する住民たちの依存度が、政府が市場を閉鎖することが難しくなったほど高まったということを証明してくれたと言える。

2つ目の理由は、北朝鮮政府が国家が管理する経済システムを市場経済に代わる水準まで復旧することができなかったからだと思われる。市場を閉鎖したら、国家が住民の生存を保障できるだけの食糧や生活必需品を配給しなければならない。食糧と生活必需品の供給を正常に行うためには、農業の生産性と食糧の輸入を増やして、原資材とエネルギーを確保して、工場と企業所を正常に稼動させなければならない。

けれども現在の北朝鮮の実情を見ると、市場を国家管理経済システムに変えることはほとんど不可能と思われる。第一に、北朝鮮政府は核兵器やミサイル開発に熱をあげていて、国際社会の経済的支援や協力を得ることができる状況ではない。食糧や原資材、エネルギーなどを輸入するための外貨も確保するのが難しい状況だ。

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李明博政府になった後も、一方的で高圧的な対南姿勢を捨てることができずに、南北の関係も悪化している。金剛山観光や開城工団を通じて現金を確保することもますます難しくなっている。市場経済が拡大して強化され、農場や工場、企業所に出勤して熱心に働こうとする人が減り、そのため農場や企業所もきちんと稼動しない。

北朝鮮政府が国営商店を活性化させようとした措置が失敗したことから、配給制の復元と国営流通網の活性化がなかなか成果をおさめられない理由を知ることができる。北朝鮮政府は2003年に総合市場を設置した後、国営商店を活性化させようと試みた。市場での工業生産品の流通を抑制して、国営商店が工業生産品の流通を独占したのだった。もちろん、国営商店の値段は市場価格よりも低めだ。

北朝鮮では消費財が慢性的に不足している。いつも需要と比べて供給が不足している状況である。そのため、供給者の選択が非常に重要になるが、品物の供給者たちは国営商店よりも高い価格で売ることができる市場を好んだ。当初は政府の圧力に負けて、国営商店に品物を供給していた業者たちも、そのうちみんな市場に戻っていった。

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供給者が市場に納品するのと同等の利潤を得られるよう保障するために、国営商店の価格を上げる措置もとった。すると今度は、住民たちが国営商店に行かなくなった。市場の値段とあまり差がなかったからだ。国営商店の商品はますます不足し、国営商店を活性化させるという措置は失敗に終わった。(続く)