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2005年10月には「国家の配給制への復帰」を宣言して、市場で食糧を取り引きすることを禁止した。2006年12月には、満17歳以上の成人の男性の商売を禁止して、翌年の10月には49歳未満の女性の商売を禁じた。2007年11月には市場で販売している品物の品目や販売価格の統制が始まり、同年12月には工業生産品を国営商店だけで販売する措置も取られた。

だが、そうした措置は目に見えた成果をおさめることができないまま、うやむやになってしまった。政府は配給するための物資を確保することができず、配給制への復帰は失敗した。当局が年齢や価格、品目を制限する措置をとっても、生存の危機に直面した北朝鮮の住民たちは市場に駆け付けた。

この数年間、市場の拡散と北朝鮮政府による市場統制措置、統制措置の失敗、そして市場が再び拡散する現象が繰り返されてきた。その過程で住民の意識の変化や北朝鮮体制の弛緩、当局の統制力が弱まる現象も相次いだ。住民たちは職場に出勤する代わりに、市場に出て来てお金を稼ぎに精を出し、幹部たちは市場を統制する代わりにバックで商人たちの世話をして、裏金を手に入れた。

高位権力層の一部の人も、市場や貿易に手を出した。結局、北朝鮮政府は2008年末に(総合)市場を昔の農民市場に切り替える政策を施行することを決定した。常設市場と総合市場を以前の農民市場に切り替えることは、事実上市場を閉鎖するのも同様の劇薬処方だった。

2008年11月6日に、「来年の1月から全国の(総合)市場を全て農民市場に改編する」という内容が記された内閣商業省の指示文61号が全国の市や郡に伝達された。北朝鮮政府は市場で食糧や工業生産品を販売したり購入することを禁止して、食料は糧政事業所、工業生産品は国営商店だけで販売すると指示文に書き込んだ。

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内閣の指示が全国に伝わった後、市や郡の当局は講演会や人民班会議、市場の掲示板、市場の管理所の案内放送(平壌)、第3放送などを通じて、指示文の内容を公示した。また、中央政府は12月に平壌をモデル地域に指定して、中国の工業生産品を販売できないようにする一方、丹東から入って来る中国の工業品を新義州におろさずに、平壌のャ|駅に直送させた。

中国の工業品の販売を国営商店が独占するための措置だった。市場改編措置が始まった1月1日に、一部の地域では市場の入口で工業生産品の販売者が市場に出入りすることを阻む所もあったという。

市場を閉鎖するための事前の措置が順番に施行され、住民たちの反発と不満が高まった。「住民が唯一食糧を得ることができる場所が市場なのに、その門まで閉めてしまったら、みんな飢え死にしなさいということと何が違うのだろうか」という反応が全国各地で見られた。「市場を無くせば、苦難の行軍の時代よりも苦しくなるだろう」という官僚たちの問題提起が、全国から中央に押し寄せた。北朝鮮政府は仕方なく、農民市場への転換の時期を6ヶ月後に延期した。

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内部消息筋は最近デイリーNKとの通話で、「(中央の)党でもむりやり行うよりは、食べる問題を解決するために事情を見守りながら、少しずつ実行する方がよいと判断した」と伝えた。今年の年初から北朝鮮の様々な関連報道を聞いても、1月以後、本格的に農民市場に転換する措置がとられた所は無いという。中国と行き来している北朝鮮の住民たちも、指示文が下る前と何の違いもなく、正常に市場が運営されていると証言している。

2005年以後、4年間繰り返されてきた市場統制措置の効力が見られず、電撃的に実施した事実上の市場閉鎖措置も失敗に終わるのではないかと思われる。(続く)