人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

最近2回目の核実験や長距離ミサイル発射などで国際社会と一戦交える賭博をしている金正日。最大の友邦国である中国に背いてまで核実験を強行した金正日の行動は、周辺国にとってはどこに飛んで来るか分からない時限爆弾のようなものである。

専門家たちは、最近発生している北朝鮮の強硬措置は、北朝鮮の後継者構築と関連があると見ている。つまり、核兵器は国際社会を相手に最大のカードとして活用されるはずで、今後3代世襲の体制を守る安全弁として作用するだろうということだ。どこに飛んで来るか分からない北朝鮮は、全面的に金正日個人の判断と決定で運営されている一人独裁社会である。

金正日は主要な政策をどのように決めているのだろうか?

外交官出身の脱北者である、国家安保統一政策研究所のヒョン・ソンCル責任研究委員は自分の博士課程の学位論文 <北朝鮮の国家戦略と幹部政策の変化に関する研究>で、金正日体制を維持している主な動力は「側近政治」と指摘した。

金正日は自分に対して100%の忠誠心がある側近を中心に「密室政治」を行い、国内外の政策を決めている。ヒョン研究委員は「国防委員会中心の変則的な政権国「が樹立されたこと自体が、金正日が国家の指導者として前面に出て、正常に政治に復帰しようとする意思がないことを見せてくれる代表的な事例」と述べながら、正常な軌道を逸れた北朝鮮の権力体系の特性を分析した。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

ヒョン研究委員は金日成総合大学の外国語文学部の英語科を卒業した後、この大学で8年間教授として働き、1989年に外務省に移ってザンビア駐在北朝鮮大使館の三等書記官になったが、1996年に韓国に亡命した。

1. 金正日の側近、彼らは誰か?

金正日は金日成の時代の権力エリートたちを自分の側近にすると同時に、自身の側近たちを権力の核心に起用するやり方を、後継国「を構築する際に原動力にした。金正日の側近たちは関係の形成と側近の抜擢、権力進入の時期と背景によって、大きく2つの部類に分けられる。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

◇ 金正日が後継者を決定する前から親しい関係だった人物。

まず、金正日の親戚をあげることができる。金正日は一般的に、金日成の親戚たちを高位職に登用することはしたが、中央党組職指導部など権力の核心や、側近には抜擢しなかった。ホ・ダム(金日成のいとこの夫)やリ・ヨンム(いとこの夫)、カン・クァンジュ(いとこの息子)、妹の金敬姫と夫の張成沢(チャン・ソンテク)、張成沢の兄、チャン・ソンウなどは後継体制を確立した後に権力の核心に起用した。

金正日が大学を卒後した後、1964年から中央党組職指導部と宣伝扇動部で勤務して一緒に働いていたり、この時期に党・軍・政など権力の要職に就いていて、金正日と親しかった人たちも、主要な側近として浮上した。

人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

金正日はまた、後継者の地位を継承した時に、権力の核心だったパルチサン出身の人のうち、影響力が強く生母金正淑と親しかったキム・イルやチェ・ヒョン、オ・ジヌなどの歓心を得るために、様々な努力をした。特に、オ・ジヌは金日成-金正日時代にナンバースリーになるほど最大の信任を得て、元老としても唯一金正日の側近になった。

◇ 金正日が後継者に決定した後親しくなり、直に権力に進入した人たち。

後継者に決まり、ナンバーツーになった金正日の周囲には、数多くの「先見の明がある」権力エリートが集まって来た。後継者に内定する前とは異なり、内定後は側近を抜擢する際、公式の人事制度を通じて厳格に把握し、検証手続きを適用した。

この人たちは金正日の党権掌握と唯一指導体制の確立の過程で、党・政・軍・外交・対南など各分野における忠誠心と業務能力、資質などが検証されて側近として抜擢されたり、金正日の私生活の保障と機密費の醸成に寄与した人たちだった。

2. 「側近パーティー」で決まる北朝鮮の国家政策

金日成時代、国家の政策はほとんどが党の政治局や協議会など公式の政策決定機関を通じて推進され、こうした席には必ず関連部門の首長たちが参加するのが慣例だった。また、現地指導や外国訪問の時にも関連部門の幹部が同行し、メディアを通じて公開される同席したり同行した幹部を通じて、北朝鮮が追求する戦略が何なのか把握することもできた。

だが、金正日の後継体制に入り、こうした公式の政策決定方法は有名無実化した一方、「提議書(報告書)政治」や「側近政治」が重要な政策決定の方法になった。外交部門でも、金正日が側近とのパーティーや電話で、カン・ソクジュ第1副相に下逹した指示を、上官である外相が一足遅れて聞くという現象が、後継体制の期間続いた。

酒や余興、公演などで盛り上がるパーティーで、全般的な対内外の情勢や動向から国家の政策や人事の問題まで、様々な懸案事項が主題として提起され、公式の場では言いにくい率直な意見や真実が反映された意見が、個別の面談や意見交換の形で出されたという。

こうした密室政治を通じて、側近たちが主要な政策から人事に至るまで、金正日に自分の主張と見解を打ち明けることができる空間が作られ、以前は党政治局の委員や候補委員が遂行していた国家戦略の主体としての役目を代わりに果たすことになった。(続く)