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“数万人の幼い子供たちの血と汗を絞り取って完成したのがアリラン公演だ”

平壌に住み、去年北朝鮮から脱出したイ・ジョンマン氏(45歳・在中脱北者) は、2005年のアリラン公演に息子を参加させた経験があり、興奮した声で打ち明けた。息子のソン}ン君(仮名)は当時六歳で、平壌市の幼稚園に通っていた。

イ氏は当時、アリラン公演の練習で酷使される息子を見つつも、社会主義の優越性を知らせるマスゲームに幼い息子が出演するため、嬉しかったという。しかし、北朝鮮から脱出して外の世界を見て、今では考えが完全に変わったと語った。

イ氏は“数万人を動員して体制の優越性を宣伝するアリラン公演は、北朝鮮だけで可能だ”と言った。

また、“北朝鮮でアリラン公演に出演すれば、名誉であると思うだけでなく、贈り物をもらうために奮って参加することもある”と語った。“暗に行事組職指導員が言う脅し文句で、子供たちを参加させることがあるのも事実”と明らかにした。

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しかし彼は、このような理由で多くの平壌の住民が参加するが、子供がいる親の心情は北朝鮮でも同じだと語った。

イ氏は“一つの動作を完璧に消化するために、半年間昼夜分け隔てなく呼ばれて出かける苦痛は、子供にとって耐え難いものであるのみならず、何よりも食べたい時に食べれずに、寝たい時に寝ることができず、一つの動作を数千回、数万回繰り返さなければならない苦痛は、経験して見なければ分からない”と言った。

“ソン}ンは他の子供たちに比べて、動作にうまく慣れることができなかった。そのため、指導員にひどくどやしつけられた。ソン}ンができないことなので、指導員がどやしても堪えることができた。けれども、時間が経って、ソン}ンはぶたれたり、完璧に消化するように、動作を繰り返させる‘罰’を受けた。幼い子供にとってどれだけ苦しかったか、当時私は分からなかった”

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何よりもイ氏は、“ソン}ンがしたくないと何度も不平を言った時、説得して出したことが一番後悔される”と言葉を濁ごした。

彼は北朝鮮から脱出し、北朝鮮社会と中国社会が社会主義国家とはいうが、根本的な差があることを知った。北朝鮮はただ金正日のためだけに存在する正常でない社会だという。

更に、“アリランを見ている人は楽しいかも知れないが、私の子供が人ではなく、機械のように利用されると考えてみてほしい。韓国でアリラン公演の行事を見た人が多いと聞いている。数万人の子供たちが体制宣伝に利用されると考えたらよいだろう”と語った。

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[インタビューの全文]

- いつ脱北したのか?

2005年の冬に一人で北朝鮮から脱出した。平壌では豊かに暮らすことができなかったが、飢えないで暮らすことができた。しかし、2005年の冬に脱北するしかない事情が発生した。家族のために具体的なことは言えない。私が北朝鮮から脱出した事実が知られれば、家族は平壌から追放されるだろう。未だに家族の消息を聞くことができない。

- 現在、北朝鮮社会に対する考えがどのように変わったか?

中国で1年以上過ごし、北朝鮮に対する考えが完全に変わった。特にテレビと中国の市場で人民が生きて行く姿を見ながら、北朝鮮と比較をするようになった。こちらの人々はよく資本主義社会と言うが、資本主義社会が何か分かるようになり、北朝鮮という国が本当に非正常な国であるということを理解した。

- アリラン公演についてどう思うか?

2005年のアリラン公演に平壌の住民がかなり多く参加したがった。2002年に想像もできない贈り物を与えたからだ。私にもそうした期待があったし、一方では党で行う仕事に積極的に参加しなければならないと当たり前に思った。

今になって思えば、北朝鮮は金正日個人の国家だから、数万人を動員して体制の優越性を誇るアリラン公演ができるのだ。アリラン公演に出演する人の大部分が子供たちだ。アリラン公演は数万人の幼い子供たちの血と汗を絞り取って完成したものだ。息子のソン}ンもアリラン公演に出演した。

- 北朝鮮のアリラン公演はどのように始まったのか?

北朝鮮には60~70年代からマスゲームが存在した。主に共和国の創立日や党の創立記念日の時に行ったのがますます発展し、その規模や内容が膨大になって、4月15日の金日成の誕生日にも開催された。

今のようなアリラン公演は2000年10月10日(朝鮮労働党創立記念日)に開かれたマスゲーム、‘百戦百勝朝鮮労働党’が始まりだ。’百戦百勝朝鮮労働党’が開かれる前には、平壌市で生まれた人であれば幼稚園の時から始めて、数初?Q加しなければならないほど、マスゲームが盛んだったが、国際的関心はもちろん、住民たちの間でも関心は高くなかった。

だが、2000年の党創立55周年慶祝’百戦百勝朝鮮労働党’ の時から、中学生や大学生を中心としたマスゲームのフレームを脱して、マスゲームと芸術公演を融合させることで、幼稚園生から中学生、大学生、芸術家、甚だしくは軍人まで参加する、文字通り大マスゲームに様変りした。

しかし当時は、90年代末の大量餓死の時期の直後だったから、住民たちの生活が貧しかったので、薄いお粥を飲んで訓練に参加する人がとても多く、お金と権力がある人の子供たちは皆、参加対象から除かれた。

- 住民たちが公演に関心を持つようになったきっかけは何か?

ところが、’百戦百勝朝鮮労働党’を観覧した金正日が公演に対して絶賛を惜しまず、前例がないほど大きな贈り物を参加者たちに与えた。贈り物をもらった人々は皆、感激した。苦難の行軍の時代に、生活に苦しんだ平壌市民たちにとって、新しい布団と新しい食器、高級な菓子は、10年ぶりに見る珍しい品物だった。行事の間、お金と権力を利用して抜けた人々は、ものすごく後悔したという。

この行事に大変満足した金正日は、2002年4月15日の金日成の誕生90周年を迎え、’百戦百勝朝鮮労働党’を再現して、マスゲームと芸術公演を融合させて、新しい作品’太陽の歌’を準備するようにという指示を下した。

この時には既にマスゲームに対する一般住民の認識が180度変わり、みんなこぞって行事の参加を希望した。この行事の訓練は2001年4月から始まったが、7月頃に公演の題目を’アリラン’に変えるようにという金正日の方針が下って、名称を変えた。

- 息子さんはアリランでどのような役割を引き受けたのか?

アリラン公演は体操台と背景台に分けられる。背景台は5・1競技場の中心部のカードセクションだ。ソン}ンは運動場で集団体操をする体操台所属だった。ソン}ンは平壌市の幼稚園に通っていた。それ以外に、平壌紡織工場幼稚園や、チャングァン幼稚園、平安北道新義州の本部幼稚園からも出演したと聞いている。ソン}ンは7歳の幼い年令でアリラン公演‘子供の章’に出演した。子供の章の中の‘ぱっと笑って’で繩跳びをしたり、様々な演技を見せた。 

- 息子さんの訓練の過程はどうだったか?

一 6ヶ月程度、午前中に授業をして、午後に練習したが、行事の半月前になれば、一日中厳しい訓練をする。この時、授業はまったくしないで、朝6時から夜12時まで、1日18時間猛練習をする。この時息子は一番苦しがった。親のそばであまえなければならない子供たちが、半年近く残酷な訓練をしなければならなかった。

ソン}ンは他の子供たちに比べて動作にうまく慣れることができなかった。子供たちは繩跳び、フラフープ回し、タンブリング、塔作りなどを行わなければならなかった。繩跳びは出演するすべての子供がしなければならないが、50人以上の子供が隊列の一番前で、大人にとっても難しい曲芸のような繩跳びをしなければならない。数人が跳べる3-4mの長さの長い繩跳びが回されて、その中で小さな繩跳びでとても早く跳ばなければならない。しかももとの場所にあるのではなく半周回転するので、ひっかからないように繩跳びをしなければならない。

ソン}ンは繩跳びがうまくできなかった。この時、指導員のどやしがひどかった。息子はどなられながら、動作を完璧に消化するように動作を繰り返す‘罰’を受けた。

幼い子供にとっていくら苦しかったのか、当時私は分からなかった。率直に言って、党の仕事に従わずに、何かが起きるかも知れないという心配が先行したのは事実だ。息子は初めは集団繩跳びにも参加したが、結局、一般の隊列の中で、小さな繩跳びを一つ跳ぶ役をした。今考えて見れば、ソン}ンを怒ったり説得しながら、最後まで参加させたことが一番後悔される。

- アリラン公演に参加する他の子供たちの苦痛もひどいのか?

他の子供たちも苦痛は同じだ。普段、アリランに出演する子供たちは休むことなく動いて、まったく同じ動作を繰り返し、骨折したり傷を負うことも多い。しかし、簡単な応急処置をしてもらうだけで、訓練から抜けてはいけない。特に器械体操をする子供たちは何層もの人間の塔を作らなければならない時もあるから、脱臼や骨折をする子が沢山いるそうだ。

アリラン公演を控えて、夕方遅くまで演習をすることが多い。特に、冬は寒い中で演習をしなければならない幼い子供たちにとっては、大人の苦痛の数倍に達するだろう。隣の家の子供が凍傷にかかって、親が心配して話をしたことが思い出される。

- 食べ物は十分に食べさせてくれるのか?

たいてい、お昼はお弁当を食べるが、夕食はおやつですますことが多い。演習中におやつとして、パンや菓子が支給される。北朝鮮の子供はお菓子を食べる機会があまりないため、菓子を食べることがアリラン公演に出演する唯一の喜びだ。

行事の参加者に、本公演の6ヶ月前から訓練の時間に、‘UN菓子’という菓子をおやつとして配った。毎日1人当り10個程度配給されたが、その模様と味が珍しかった。

そのお菓子は縦横約5cm程度の正四角形の模様で、他のお菓子のように甘くもなくて、特別な味もなかった。お菓子の中には‘WFP’という英語が刻まれていた。このお菓子は以前から市場で500g当たり朝鮮の貨幣で800~1,000ウォンの価格で取り引きされていたが、2005年のアリラン訓練の期間に、参加者に支給された。(続く)

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