「大生産地である上に収穫期を迎えたので、現地でのジャガイモ価格は非常に低く、ジャガイモ10キロはコメ1キロにしかならない。また、ジャガイモを買い付けに東海岸から行商人がやって来るが、ジャガイモ5キロでワカメ1キロに買い叩かれる」
金正日氏は、大飢饉「苦難の行軍」の真っ只中にあった1998年、「ジャガイモ革命」なるものをぶちあげた。これは、北部山間地帯を開墾して大規模ジャガイモ農場を建設して食糧難の解決を図ろうとしたものだ。
稲作の北限は、北朝鮮の最北端からさらに500キロ北の黒竜江省のジャムスあたりだが、北朝鮮の両江道、慈江道(チャガンド)などは標高が高いため、稲作はできない地域だ。そこで、金正日氏は寒冷な地域でも栽培可能なジャガイモに目をつけたのだ。
わざわざ大紅湍郡に別荘を建てて、農場を頻繁に視察するなどジャガイモに並々ならぬ愛情を注いだ。そのせいか「大紅湍」と言えばジャガイモというほど有名になったが、現地での評判はすこぶる悪くあちこちから不満の声が出ている。