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南北分断の象徴である非武装地帯は、半世紀以上前の朝鮮戦争の跡がそのまま残っている場所だ。朝鮮戦争は自由民主主義社会を守護するための戦争であり、赤化による社会主義社会の建設という方法で統一するために、北朝鮮が行った侵略戦争だった。その残痕がいまだに残っているのが非武装地帯である。

最近、南と北が様々な交流を推進しているが、非武装地帯は自由国家である韓国と首領独裁国家である北朝鮮を分かつ境界として存在している。わずか数キロメートル隔てて、慢性的な食糧不足の国である北朝鮮と、豊かに暮らしている韓国が向き合っている。

日本人である筆者は、23日に南北分断の象徴である非武装地帯を訪ねた。韓国側2 km、北朝鮮側2km、あわせて4kmの幅の境界を隔てて、韓国と北朝鮮が共存している非武装地帯は静かだった。北朝鮮が先月ミサイルを発射するなど瀬戸際戦術を駆使し、朝鮮半島に緊張が高まっているが、非武装地帯は文字通り平和だった。一方で、平和な非武装地帯の向こう側に住む北朝鮮の住民の姿が思い起こされた。昨日行って来たソウルの明洞、日本ではショッピング街として有名な明洞と、飢えに苦しんでいる北朝鮮の住民の姿がオーバーラップした。

ここを訪れる韓国人観光客も多かった。北朝鮮が故郷である失郷民や離散家族、そして北朝鮮との統一を祈る人たちが、北朝鮮を一番間近に見ることができる所が非武装地帯だからだ。移動の自由がない北朝鮮の住民は、韓国の人たちのように、自由に非武装地帯から韓国を眺めることができないが、統一を望む思いは同じはずだ。

非武装地帯にはイムジン河が流れている。イムジン河は統一を象徴する川だ。この場所で南と北が分かれているが、イムジン河は今もここを横切って流れているからだ。統一を望む南北住民の念願は、イムジン河のように一つになって流れ続けることである。

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イムジン河は統一大橋を経て、非武装地帯を悠々と流れていた。統一大橋は南北交流の象徴的な場所である。1998年に現代グループ創業者、故鄭周永会長がこの橋を通って、約1000頭の牛を連れて訪朝し、対北事業の扉を開いた。その後、韓国から多くの支援物資がここから北に入って行った。2007年には盧武鉉前大統領が統一大橋を渡って北朝鮮を訪問し、金正日総書記と南北首脳会談を行った。

非武装地帯で筆者は盧武鉉前大統領の訃報に接した。25日には北朝鮮が核実験を敢行し、朝鮮半島の緊張が一層高まっている。故盧武鉉前大統領と鄭周永元会長が、南北の和解に寄与するために南北首脳会談を開き、牛の群れを率いて訪朝したが、こうした多くの努力が水泡に帰したのではないかという思いが頭をよぎった。このように、北朝鮮問題は常識では理解することができない部分が多い。

統一大橋を越えて少し進んだら、広い駐車場が目に入ってきた。開城工業団地事業が始まって建設された、南北出入境事務所のトールゲートだ。出入境事務所の向こうには、ガラス張りのトラサン駅が見えた。いつの日か、トラサン駅から平壌に向かう電車に乗る日が来るだろう。2007年に南北列車の試験運行が行われたが、試験運行ではなく、南北すべての人が自由に往き来できる日が来るだろう。

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駅の近くの丘に建てられたトラ展望台からは、北朝鮮の景色を見ることができる。晴れていれば開城市の金日成像も見えるそうだが、この日はあいにく霧が立ちこめていた。平壌の金日成像よりもずっと小さい、開城の金日成像が見えるということから、開城がどれだけ近いかが分かる。丘のふもとは、アカシアの花で白く染まっていた。アカシアの香りは一人で楽しむにはもったいないほど芳しい。北朝鮮の人たちも、アカシアの香りに心をなごませることができる、ゆとりある生活を送ることができるのだろうか。

展望台を後にして、イムジン河の川辺にある臨津閣に向かった。ここには朝鮮戦争後に捕虜が渡って帰還したという自由の橋がある。この橋には統一を願うメッセージが書かれた短冊が翻っていた。

日本人である筆者は、北朝鮮問題においていつも第三者である。北朝鮮問題、特に人権問題に関心はあるが、第三者であることに対する罪責感を感じることもある。それは北朝鮮の人たちが受ける苦痛から、切り離された所に住んでいるという事実のためだろう。数年前に平壌を訪問した時も、そう感じた。

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だが、北朝鮮の人たちの痛みを少しでも分かち合うことができたらよいとは思う。北朝鮮が解放されて南北の鉄道が運行される日、再びここを訪れてみたい。