連載・日本の対北朝鮮情報力を検証する/公安調査庁編(2)

2014年3月、ある地方都市の城郭跡にほど近い政府合同庁舎から、ひとりの男が去って行った。男はかつて、公安調査庁(以下「公安庁」)のエースと呼ばれ、北朝鮮情報で右に出る者なしとまで言われた。

男が集めた情報は首相官邸に報告されるだけでなく、米国をはじめとする西側インテリジェンス・コミュニティーで共有された。その質の高さに、各国のインテリジェンス・オフィサーは惜しみない賛辞を送ったという。

しかし、そんな男が組織を去るのを惜しみ、過去の功績と名誉をたたえる声は、ほとんど上がらなかったという。

工作船から携帯電話

2001年12月、東シナ海で海上保安庁の巡視船が、北朝鮮の工作船と半日にわたる激しい銃撃戦を繰り広げた。20ミリ機関砲を撃って工作船を停止させようとする巡視船に、工作船は機関銃や対戦車ロケット弾で反撃。しかし間もなく自爆し、海中深くに消えていった。世に言う「九州南西海域不審船事件」である。

日本政府は沈没した船が北朝鮮工作船であることを示すため、翌年9月、船体を引き上げ、遺留品を回収した。政府の目論見は、北朝鮮による対日有害活動を証明し、北朝鮮に国際的なダメージを与えることであったのだが……。

もちろん、その目論見はかなりの程度果たされた。しかし同時に、対北朝鮮情報を看板にしていた公安庁が衝撃に見舞われたことを記憶する人は少ない。

工作船から発見された日本製携帯電話のアドレス帳から、関東公安調査局統括調査官の電話番号が発見されたのだ。他ならぬ冒頭の男が、この統括調査官である。

ミイラ取りがミイラに

さらには統括調査官と、覚せい剤取引を行っていた暴力団関係者との通話記録も発見された。暴力団関係者は当然逮捕されたが、公安庁は男と北朝鮮の関係について沈黙し続けた。当時の状況を知る公安庁OBは、次のように回想する。

「工作船の携帯電話から彼の携帯電話番号が出てきたと聞いたときは、正直驚きました。彼は総務に即日異動となり、本庁からの“査問”も受けました。その後、マスコミの目が届かない地方に転勤。他の職員と顔を合わさないようパーテーションで区切られた区画に机だけ置かされ、事実上の監視下に置かれていたようです。

確かに彼は、関東局、いや3部門(注:北朝鮮担当)全体でも、トップの実績を挙げていたと思います。単なる調査官というよりも、裏人脈を活用し、政界やマスコミをも巻き込む情報ブローカーのように振舞っていました。

しかしそれも、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』と言われるとおり、高度な情報を取るためには自らも対象に胸襟を開かねばならないからです。実際、彼が集めてくる金正日体制の動静やミサイル・核開発についての情報は、内外で高く評価されていたと聞いています。ただ、私は彼が北朝鮮に内通していたとは思いませんが、北朝鮮側も彼との接触の中で、日本側の情報を引き出そうとしていた可能性はあります」

朝鮮総連からカネ!?

人との接触の中で情報を引き出すHUMINT(人的情報活動)においては、「ミイラ取りがミイラになる」という副作用から無縁でいられる者は少ない。

とは言え当時の報道を見ると、男に対する公安庁の内部調査結果は、副作用では済まされないレベルだった。

「活動費300万円を私的に流用」「公安情報を提供する見返りに朝鮮総連から月十数万円を受け取る」「在日朝鮮人女性の愛人2人を抱え込む」……。真相は藪の中だが、実は、これを裏付けるかのような別の事件が存在する。

元日本経済新聞記者の杉嶋岑氏は1986年の訪朝後、内閣情報調査室と公安庁から情報収集の協力要請を受け、「国家のため」とその後も訪朝し続けた。

そして、1999年に北朝鮮当局により逮捕され、2年以上も拘留された。当時、公安庁で杉嶋氏のハンドラーだったのが、件の男だ。

変わらぬ「見殺し」体質

杉嶋氏は勾留中、北朝鮮当局から、自分が公安庁に提供した情報や資料、写真を見せつけられ、驚愕したという。帰国後、杉嶋氏は衆議院安全保障委員会で、訪朝の経緯や勾留中の出来事を証言。次のような言葉で話を結んでいる。

「最後に、国家機関が善意の国民に協力を求め、それによって生じた国民の受難に対しては、何らかの公的な謝罪や補償があってしかるべきではないかと思います。特に公安庁のように、頼むときは頼んで、その国民が受難に陥ったとき、知らぬ存ぜぬのトカゲのしっぽ切りのような扱いでは、誰もそのような政府機関を信用して安心して協力しなくなります」

そして今、公安庁は中国当局により複数の日本人協力者を「スパイ容疑」で拘束されたことで、同じ非難にさらされる事態に陥っている。(つづく)

(取材・文/ジャーナリスト 三城隆)

【連載】対北情報戦の内幕/外務省編・外事警察編

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