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「いくらカネに目がくらんだとしても、なぜ14歳になった子を売ることができるのか。娘が姿を消したという話を聞いた瞬間、その場で気絶した」

脱北女性に会って一番辛かったのは、人身売買の経験を聞いた瞬間だった。どうしても言葉で表すことができないほどの苦しい経験を全身で体験した彼女たちの前では、どんな同情や慰労の言葉も軽々しく口にすることができなかった。

悲しいこの地で、私の涙の訳を知る人もいないので、二度と泣くまいと何度も何度も決意したという。もう辛いことにもなれて、ちょっとやそっとのことでは涙も出ないと語った。しかし、淡々と話を続けながらもこの話になると、涙をこぼさない脱北女性は誰ひとりとしていなかった。

女性であったため、それも北朝鮮の女性であったために遭ってしまった苦痛は、時が経っても癒えることはなかった。今も夜ごと悪夢にうなされ汗ぐっしょりになって目を覚ますという彼女たちの運命は、果して誰の責任なのか。

組職化された人身売買…被害女性は2万人

中国で活動する脱北者支援活動家らによると、現在中国にいる脱北者のうち、8〜9割は女性で、うち7〜8割は人身売買の被害者だという。現在、中国国内の脱北者が3万人であるとすると、約2万人が中国で人身売買の被害に遭ったという計算になる。

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人身売買が横行しているのは、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の茂山(ムサン)、会寧(フェリョン)、羅先(ラソン)、両江道(リャンガンド)の恵山(ヘサン) 、慈江道(チャガンド)の満浦(マンポ)など、中朝国境沿いの都市だ。かつては女性が単独で川を越えた場合、一部の中国人が彼女らを人身売買組職に引き渡す事例が多かったが、今は北朝鮮と中国の人身売買組職のネットワークが利用されている。

北朝鮮のブローカーが女性たちに「中国へ行けば食堂の仕事や家政婦、農村での仕事がある。仕事を終えて来れば、私たちに礼金の名目でいくら渡してくれたらよい」と持ちかけ、信頼させる。渡江費(川を渡る費用)は女性たちが負担し、額は人民元で500元〜700元になる。(1元は約15円)

女性たちは北朝鮮と国境の川を挟んで向かい合う中国・吉林省の集安、長白、三合、開山屯、図們などのブローカーに引き渡される。

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農村に拠点を持つ1次ブローカーは中国の犯罪組職と結託し、脱北女性を東北地方はもちろん、北京や西安を経て内モンゴルまで売り飛ばしてしまう。

中国に来てからだまされたことを知った北朝鮮の女性たちは、強制的な拘禁と脅迫状態に置かれるようになる。ほとんどの女性は働きにに来たのであって、結婚(強制婚姻・事実婚姻)しに来たのではないと抵抗するが、「公安に突き出す」という脅迫と、「カネが儲けられる」という説得に負けておとなしく従うようになる。

この過程でブローカーの性的暴力の被害に遭うこともある。このような交渉抜きで、すぐタクシーに乗せられて農村に連れられて行く場合もある。

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売られた先から逃げ出す脱北女性もいる。中国人の配偶者と結婚して1〜2ヶ月経って、紹介費を持って逃げ出すのだ。紹介費は脱北女性とブローカーが半分ずつ山分けする。

売られる価格は年令と美貌の基準で異なり、3000元から1万2000元だが、(吉林省延辺朝鮮族自治州の)延吉から距離が遠いほど高くなる。

彼女たちが売られる農村の男性は、中国社会でも下流階級に属する。知識や教育水準が低い朝鮮族の人や、貧しくて年配の漢族の人、あるいは障害を持った人も含まれている。

アン・ミランさんは「夫が随分借金をして、追われて来ることになりました。親戚の姉と一緒に開山屯に来たが、子どももいたから3ヶ月間だけお金を稼ごうと思いました。初めは朝鮮族がよくしてくれると言いました。その時は分からなかったのですが、延吉に行ってだまされたようだという気がしたんです。自分の親戚と共に、親戚の姉と私を3000元で売ったんです」と証言した。

売られて逃げて、また売られ…

今は朝鮮族の夫と結婚して落ち着いて暮らしているチェ・キョンジャさんも、人身売買の辛い経験をした。

「97年当時、この地域について何も知りませんでした。川を渡って、老夫婦が暮らしている家に入って働き口をちょっと手に入れてほしいと言って頼みました。その夫婦は、国境地域は取り締まりがひどいから働き口を求めるのは大変だと、いっそ良い男に会って嫁ぎなさいと言いました。それで(吉林省延辺朝鮮族自治州の)汪清にいる漢族の男性に嫁いだのですが、私はよく分からなかったけれども、多分売られたようです」

北朝鮮で夫と離婚したイ・ウンヒさんの場合、中国で結婚すればお金も儲けて安定した暮らしもできるという話を信じて豆満江を渡った。

「でも、その人は北朝鮮の募集担当で、来て見たらすべてが嘘でした。売られたと思いました。それで私は行かない、帰ると言いました」

「中国のブローカーは、貧しい女性たちはどんなところにでも送ってほしいと(自分から)売り込んでくると言う。分かっていて売られるのに、帰ると言った女性は自分しかいなかったと言っていました。(警備隊に)捕まれば、自分で豆満江を渡って戻りました。私を紹介してくれた人を尋ねたら、顔が真っ青になって、お金(紹介費)を返しました」

イさんは「人身売買は特別な人がするのではなく、国境の村だからこの家、あの家と多くの人がしています。最初にこれをして金を儲けた人は、後で専業で行うこともあります。専門ブローカーになるということです」と説明した。

2002年以降、人身売買の被害に遭った女性たちが北朝鮮に強制送還されるようになり、脱北女性の人身売買の事例は北朝鮮でもかなり知られるようになった。北朝鮮の家族が政府に人身売買ブローカーを告発し、この問題が本格的な社会問題として浮上した。北朝鮮政府も人身売買は単純な脱北と別に扱い、人身売買ブローカーは重罪に処するという。

イさんはしかし、最近では自らの意思でやってくる場合もあるという。

「今では、ここに来る女性たちは自ら望んで来る場合も多い。自分がどうなるのかということをよく分かっている。それでも当面の生活のあてがなく、家族も残っていない場合、最後の選択としてやってくる」と語った。

インタビューをうけた脱北女性のうち、最も多く人身売買を経験したカン・スンニョさんの胸には、今も恨みの念が残っている。

カンさんは2002年脱北、2年間一生懸命カネを貯め、夢にまで見た故郷に帰ることになった。一人っきりの娘のために、ヘアピンから靴まで、お土産の包みを沢山用意した。しかし、故郷に戻った彼女を待っていたのは、14歳の娘が姿を消したという知らせだった。

「ブローカーがお母さんのところに連れて行ってあげると言って、中国に連れ去ったそうです。その話を聞いた瞬間、気を失いました。数日間放心状態だったが、娘を捜すために、あちこちでうわさを頼りに捜しました」

中国のブローカーの連絡先が分かったカンさんは、「どうして子供にそんなことができるのですか。いくらお金に目がくらんでも、未成年の子どもを売り飛ばすことができるのかと問い詰め、今すぐ私の娘を連れて来なさい」と詰め寄った。

「その男は、18~19歳だと言うから、そのまま信じて送ったんだと弁解しました。結局、うわさをたよりに捜したあげく、遼寧省にいるというので行ってみたのですが、うちの子ではありませんでした」

娘の話になった瞬間、カンさんの声は低く沈んだ。

「その中国のブローカーを追及して、娘がいるという(遼寧省)朝陽まで送ってくれと言いました。まず瀋陽に行って中間のブローカーに会って娘を捜すことにしました。でも結局、その人も人身売買ブローカーでした。私をも売ろうとしました。私は娘を捜しに来たのであって、おカネ儲けが目的ではないと何回言っても、放してくれませんでした」

「娘を捜すには、この地域で情報を集めなければならない。市場に行けば遠くから集まるから、捜すことができるだろう。結婚して住んで、時を見て娘を捜してやると私を説得した。お金もなくて知り合いもいないのに、娘を捜さないといけないので、本当に辛かったです。それでもどうしたらよいのですか。逃げだせるように放してもくれないのに。売られてから到底暮らせないと思い、大都市に逃げました」

今でも夜が来ると娘の顔が脳裏に浮かぶというカンさん。

 「とても辛くて娘のことを忘れて暮らそうとしたけどダメでした。いつか娘を探し出してまた一緒に暮らせる日も来るでしょう…」