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日曜日の朝、明るく始まる地球村の女性のトークショー 、KBS‘美女たちのおしゃべり’に出演中のレスリー・ベンフィールド(37.Leslie Benfield)さんが、北朝鮮民主化ネットワーク(理事長ユ・セヒ, 以下北民ネット)の広報大使に委嘱された。

ベンフィールドさんは10年以上に及ぶ韓国での生活を基に、韓国の文化に対して物静かで鋭い意見を出し、視聴者の注目を浴びている。韓国人に劣らない韓国語の実力と韓国社会の文化的偏見を鋭く指摘する姿に、多くのファンもできた。

ソウル市役所の交通放送レポーター、ソウル大学行政大学院入学、AFEC長官会議企画団、KOTRA勤務など、彼女が韓国で送った10年は、盛りだくさんの経験で満たされている。放送出演の1年前から、北民ネットでボランティア活動を展開している。週末には移住労働者を対象にして、ハングルを教えるボランティアを行う。趣味で手芸を楽しみ、キムチチゲも作るというベンフィールドさん。

職場と放送の録画、教会でのボランティアなどで忙しい日々を過ごしている彼女だが、北民ネットの広報大使をこころよく引き受けた。

“普段から脱北者問題に関心を持っていたが、一人の力として手伝えることがなく、機会を待っていました。おかげさまで良い活動ができるようになりました”と語る。

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1995年に宣教のために韓国に来た彼女は、脱北者支援活動を行う宣教師が導く外国人の集まりに参加するようになり、北朝鮮に初めて接するようになったという。その後、RFAや自由北朝鮮放送などのラジオ放送を聞いて、北朝鮮問題に関心を持ってきた。

北朝鮮の食糧難当時の血なまぐさい状況を撮った写真一枚が、北朝鮮の住民を憶え続けながら暮らすようになるきっかけとなった。“1997年頃のことだと思います。ユジンベール財団と共に北朝鮮に医療宣教に行った教会の方がいらっしゃいました。その方は北朝鮮に、カメラを一台、密かに持って行ったのです”

“後でその方がいらっしゃって、北朝鮮で密かに取った写真をスライドで見せてくれました。やせ細った乳房で子供に乳を与える写真などを見て、あまりに胸が痛み、信じられませんでした。どうしたらこんな状況で暮らすことができるのかと考えました”

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“その時からテレビ放送も見て、ラジオも聞きながら、何かをしなければならないとずっと考えました。また、本当にこのように生きているのか、直接確認したくて、北朝鮮に直接入って行って見ようともしました”

当時の衝撃が忘れられないかのように、彼女の声はますます高まった。

“RFA放送を通じて、中国で人身売買にあって被害を受けた北朝鮮の人々が、宣教師や牧師さんたちに会って、助けを借りたという話を沢山聞きました。私もこのように北朝鮮の人に実際に役立つ宣教活動をしたいと思っています”

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彼女は韓国の対北政策に対する厳しい叱責も忘れなかった。“初めて韓国に来た時は、北朝鮮を敵対的に思う雰囲気が多かったが、金大中大統領以降、180度変わったようです。けれども、金大統領以後、むしろ北朝鮮に対する人々の関心は一層減少したようですね”

彼女は“統一が念願だといつも言いながら、関心は持たない姿を見て、深刻な問題だと思いました。言葉だけで行動に移すことができないようだからです。北朝鮮のそのままの姿を知らせることも重要だと思います”と強調した。

ベンフィールドさんは特に、脱北者の韓国定着に大きな関心を持った。“脱北者がハナ院で数ヶ月間暮らしてから韓国社会に出るそうですが、そこの教育制度があまり整っていないそうですね。学校に通っても、他の子たちと比べて劣ってしまうそうです”

そのため、韓国の人々が脱北者の韓国定着のために、義務的にボランティアをしなければならないと主張した。

“韓国人は北朝鮮の人々に対する恐怖心を持っているようです。偏見を持つ理由は彼らのことがよく分からないためでしょう。北朝鮮の人々と身近に過ごすことができる機会が増えたらよいです。率直に言って、北朝鮮の人はテレビで戯画化された姿だけに多く接するのではないか。心から接して、差がない人間ということを感じられたらと思います。そのためにも、政府が広告など出さなければならないのではないでしょうか”

彼女は他の文化と人種を受容することができない韓国の排他的な文化も批評した。

“韓国社会が排他的なことは分かりますが、非常に似たものだけ好んでいるようです。そこから脱したらと思います。韓国人が外国に出て住むこともあり、韓国人でも他の考えを持つことがあります。互いの差を受け入れて、多様な人々を社会が包容してくれたらと思います”

彼女にとっては韓国での10年間は、良い縁との出会いが続いた歳月だった。“もちろん良い時もあったし、良くない時もありました。多くのことを経験して学びながら、韓国の人々に感謝する心を持つようになったんです”と言いながら、明るい顔をほころばせた。

彼女のほほ笑みは真珠よりも美しかった。