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天井が低く狭い飛行機の座席に座った時、私は気分があまりよくなかった。その日の朝の2回目の飛行だったが、地下鉄に乗れば1時間余りの距離に過ぎなかった。きゅうくつだったので体をごそごそと動かしながら、乗務員が渡してくれた新聞を広げた。

丸々とした1人の年配の男性の白黒写真が新聞の半ページを占めていた。写真の上には太い字で、「偉大な指導者金正日同志、咸州の豚農場を訪問」というタイトルが書かれていた。何のいたずらだろうかと思い、記事全体を詳しく読んで見たら、本当に記事は北朝鮮の咸州地域の豚農場をその独裁者が訪問したことについて書かれたものだった。

数分後、飛行機は離陸して私は窓辺に視線を向けた。下に見える中国はどんどん小さくなっていった。自分が本当に北朝鮮の首都平壌に行くことになるのか半信半疑のまま、目を閉じた。

この2年間、私は韓国政府から北朝鮮訪問の許可を得るために努力してきた。2006年の夏には北朝鮮に行くには私の年齢が低すぎると言われた。2007年に行くことができたが、北朝鮮が政治的な理由で韓国人の訪問を全て禁止した。2008年の夏には、私が出発する4週間前に、韓国の観光客が金剛山で北朝鮮の兵士の銃で撃たれて死亡した。北朝鮮を訪問して抑留されることは時折あったが、観光客が射殺されたのは今回が初めてだった。そのため、韓国のメディアではこのことについてしばらくの間騷動があった。韓国と北朝鮮が互いに忙しく批判しあっていた間に、私は抜け穴をくぐることができた。

北朝鮮で過ごした4日間は大きな衝撃や不信、どのような種類の深い悟りもなかった。医療関係でかなりの寄付をしていた団体に所属している韓国の団体から来た私たちを、彼らは例外的によくもてなしてくれた。

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私たちは金正日や金日成を奉じる塔や銅像を含む様々な観光地を訪問して、よく訓練された北朝鮮のガイドと一緒に行動した。

どこを訪問しても行く度に、私たちがバスから降りる前に、ガイドはそこから人がみんないなくなっているかどうか確認した。私たちは北朝鮮の人と話し合うことは一切許可されなかった。彼らが生活している姿をありのまま自由に観察することができる唯一の時間は、バスの中にいた時だった。

ある面では、平壌も他の普通の場所と同じだった。都市にありそうなほとんどすべてのもの、ビルや通り、地下鉄、商店が平壌にもあった。にもかかわらず、平壌は他の都市とは違ってがらんとしていて空虚だった。集まっている市民は互いに話をしていなかったし、誰も笑っていなかった。

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「金正日と一緒にならば私たちはできる」、「金日成同志はいつも私たちと一緒にいる」、「戦って勝とう」と宣伝している朝鮮労働党のポスターだけが、私が通りで見かけた唯一の特色だった。このような平壌のぎこちなくて不自然な姿は、ジョージ・オーウェルの「1984年」を想起させた。私はこの都市が本来の機狽?ハたしているとは信じられなかった。

この夏に私が見たのは、北朝鮮の一番非現実的な姿だった。沢山の人が食糧不足と人権蹂躙で苦しんでいたが、上位の特権層はきれいでよく計画された姿のこの都市を楽しんでいた。

2008年8月に韓国は建国60周年を迎えた。1950年の朝鮮戦争以降、韓国の文化や経済、一般の福祉は発展を繰り返してきた。けれどもそうした福祉は、北朝鮮が相変らず不確実な共産国家として残っている限り、決して安全ではないだろう。

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民主社会に戻って来る日、私は北朝鮮で会った人たちのことを考えた。あの人たちは私と似たような姿をしていて同じ言葉を使っている。しかし彼らは私をどのように思うのだろうか。本当に分からない。

[イ・スジョン, アメリカ Northfield Mount Hermon School 11年生]